北齊書卷十 列傳第二 高陽康穆王湜
高陽康穆王湜
- 高陽康穆王湜、神武帝の第十一子。天保元年(550年)封ぜられ、10年(559年)次第に尚書令に遷った。滑稽で機嫌を取るのが巧みだったため文宣帝に寵愛され、側近として諸王への杖罰を執行させられていた。太后はこれを深く恨んだ。その妃の父、護軍長史張晏之がかつて道で湜と行き会って拝礼したが、湜は礼を返さなかった。帝がその理由を問うと「官職のない者に何の礼が要ろうか」と答えた。帝はそこで晏之を抜擢して徐州刺史とした。文宣帝が崩じると司徒を兼ね梓宮を先導したが、笛を吹きながら「至尊(文宣帝)は私が分かっているだろうか」と言い、また胡鼓を打って楽しんだ。太后は湜に杖罰百余を加え、まもなく薨去した。太后はこれを哀しんで泣き「彼が成就しないことを恐れて杖を与えたのに、傷がもとで死ぬとは思わなかった」と言った。乾明初め、仮黄鉞太師司徒録尚書事を追贈され、子の士義が爵位を継いだ。