北齊書卷十 列傳第二 襄城景王淯

襄城景王淯

  • 襄城景王淯(本文では清)、神武帝の第八子。容貌は甚だ美しく、若くして風格があった。元象年間、章武郡公に封ぜられ、天保初め、襄城郡王に封ぜられた。2年(551年)春、薨去。斉の諸王は国臣・府佐の選定にあたり富商や卑俗な鷹犬使いの少年を用いることが多かったが、襄城・広寧・蘭陵王らだけは文芸に通じ見識のある士を多く引き入れ、当時これをもって称賛された。乾明元年(560年)2月、仮黄鉞太師太尉録尚書事を追贈された。子がなかったため、常山王演の第二子亮を後継とする詔が下された。亮、字は彦道、恭孝な性格で風儀に優れ文学を好んだ。徐州刺史となったが商人の財物を奪った罪で免官された。後主が敗れて鄴に逃れると亮はこれに従い、兼太尉太傅に遷った。周軍が鄴に入ると、亮は啓夏門で防戦したが、諸軍は戦わずして敗れ、周軍が諸城門にみな入ってから亮の軍もようやく退いた。亮は太廟に入り、馬をつなぐ場所で慟哭し拝辞した後、周軍に捕えられた。関中に入り、慣例により儀同の位を受け遠辺に配され、龍州で没した。