三月辛邜 重慶の回復
- 将軍烏丹の遣わした覚和托らのもとに重慶の偽文武官が投降し、達州・東郷など周辺州県も平定した。偽将軍楊来嘉・彭時亨らも投誠を申し出た。
乙未 尚之信謀反疑惑への対応
- 尚之信の護衛張永祥・張士選が上京し、之信の謀叛計画を密告した。皇帝は刑部侍郎宜昌阿らを海疆巡視の名目で広東へ派遣し、都統王国棟・副都統尚之璋と内密に事実関係を確かめさせ、状況に応じて処置するよう命じた。
戊戌 安親王岳楽の凱旋出迎え
- 皇帝は自ら蘆溝橋まで出て安親王岳楽の凱旋を出迎え、微罪ある将兵も戦功を挙げた以上、信郡王らに準じた礼で迎えるよう兵部に命じていた。
辛丑 広西・荊州方面の増援
- 簡親王喇布の上奏(馬承廕の再反、傅宏烈への襲撃事件)を受け、都統夸扎に武岡州から精兵を率いて広西へ急行させ、簡親王・平南親王と協力させた。
- 順承郡王勒爾錦の求めに応じ、将軍噶爾漢の兵を荊州方面の防守に残留させた。
壬寅・癸卯 広西・広東への増援と史論
- 広西へ長期出兵している大軍を交代させるため、都統馬奇・趙璉・副都統洪世禄・祖植椿らを派遣した。
- 厦門・金門の平定を受け、馬承廕の再反と広東海寇の活発化を警戒し、将軍頼塔に満洲兵二千を率いて潮州へ急行させた。
- 編者は、尚之信の不軌が露見して宜昌阿を派遣する一方、広東城内に満洲兵の備えがないことを慮って頼塔を急派した措置を、皇帝の周到な先見と評している。
甲辰 尚之信の武宣進取許可
- 将軍莽依図との協議を経て、尚之信が貴県から潯州水陸を通じ武宣を攻める方針を上奏し、許可された。
戊申 辰州の回復と呉之茂・韓晋卿の処刑
- 大将軍貝勒察尼の軍が辰州に至ると賊は潰走し、偽知府傅祖禄らが投降、周辺の偽将も相次いで帰順した。総督蔡毓栄も銅仁府・瀘渓・漵浦・麻陽の回復を上奏した。
- 王屏藩・陳君極の首級と捕らえた呉之茂・韓晋卿は凌遅処死のうえ晒された。皇帝は呉三桂旧部の張起龍を雲貴招撫に遣わし、楓木嶺・辰龍関の険阻がすでに平定され四川・広西も底定した以上、招撫によって雲貴の民を早く安んじるよう諭した。
壬子 趙良棟の進兵構想
- 趙良棟は湖広の速攻を求めるとともに、広西路(泗城州経由)・四川路(成都経由)・湖広路(保寧経由)の三路から八月末を期して雲南へ同時進撃する策を上奏し、皇帝はこれを容れて諸路の将軍・大臣に糧餉調達と軍備整頓を命じ、好機があれば期日を待たず進撃してよいとした。
癸丑 官軍の擄掠禁止
- 学士仏倫らを雲貴の理餉に遣わすにあたり、皇帝は民を安んじ苗蛮を撫綏することが平定の要であるとし、擄掠する者は直ちに弾劾するよう将軍・総督・巡撫・総兵官に徹底させた。
甲寅・己未 人材登用と四川防守の指示
- 軍務に通じた馬山らを趙良棟軍へ遣わし、四川で必要なら総兵官に、不要なら雲貴進取に随伴させることとした。
- 趙良棟の軍が金沙江に達したとの報を受け、烏丹・鄂克済哈らに四川の要路を深溝高塁で固く守らせるよう命じた。
四月壬申 頼塔軍への増援
- 頼塔の求めに応じ、康親王傑書にさらに千人を広東へ増派させ、残余は順次還京させるよう詳議を命じた。
戊寅 耿精忠の処刑と関係者の処分
- 耿精忠は帰順後もなお謀叛の意を抱き、王進功を通じて海賊劉進忠と結び、軍械を隠匿し黒鉛を埋蔵するなど反逆の実跡が発覚した。総督范承謨殺害の隠蔽や呉逆への通款も明らかとなった。
- 議政王貝勒大臣の審理を経て、耿精忠は凌遅処死、子の耿顕祚は斬刑、徐文輝・劉進忠ら首謀格は凌遅、黄国瑞ら多数は斬刑とされ、田啓蛟・金鏡・李学詩・陳夢雷ら一部は罪一等を減じられて奴隷身分とされた。
己卯 王進宝の帰郷療養
- 王進宝が持病の悪化を理由に固原への帰任を願い出て許され、子の王用予は保寧に留めて雲貴進取に備えさせた。
壬午 湖広満兵の分遣と還京
- 大将軍貝子彰泰らの上奏に基づき、武岡州・沅州の駐留兵から有馬の精鋭を選び都統夸扎に率いさせて簡親王軍へ、無馬・老弱の兵は現地に留めて指示を待たせることとし、皇帝はさらに佐領ごとの人数配分を詳議のうえ、機を逃さず進発するよう命じた。