十一月壬辰朔 巡撫李天浴の広西派遣
- 総督金光祖の上奏を受け、雲貴を目指す湖南方面に督撫提督が集中していることから、雲南巡撫李天浴を広西へ回し、王・将軍らと進勦・新復地の撫定にあたらせた。
甲午 辰溪駐留兵の減撤
- 大将軍貝勒察尼の上奏により、辰溪駐屯の大軍を全て撤収する案に対し、皇帝は佐領あたり六人のみ撤還を許し、鄂鼐に率いさせて京師へ戻す一方、辰溪は既得の地として堅守を続けるよう命じた。湖南は投降間もない官兵が多いため、撤兵の隙に乗じた変事を警戒するよう諭した。
乙未 蒙古郡王固禄への親王封爵
- 榆林総兵官として神木の変に迅速に対応し、みずから病を押して出征した多羅郡王固禄の功を賞し、和碩親王に封じた。
丙申・戊戌 王進宝の武関攻略と漢中回復
- 王進宝が武関を奪取し偽総兵羅朝興を捕らえたのに続き、十月二十七日には賊将王屏藩を青石関へ敗走させて漢中府城を回復し、なおも青石関まで追撃した。
庚子 湖広・興安方面の増援と諸将督励
- 提督徐治都の求めに応じ巡撫張朝珍に武昌・漢陽の兵を増派させ、遅滞すれば軍法に問うと厳命した。
- 趙良棟が白水江まで賊を追撃した戦況を報告する一方、皇帝は図海・畢力克図の両路の戦況報告がないことを咎め、諸路の連絡徹底と速やかな進撃を命じた。良棟はほどなく巴都山で賊を破り略陽を回復したと上奏した。
尚之孝への建寧賊掃討命令
- 将軍尚之孝が福建・江西境の江機・楊一豹らの残賊掃討を上奏し、皇帝はまず建寧を平定したうえで江西の残賊撫剿にあたるよう命じ、江機・楊一豹はほどなく投誠した。
辛丑 陝西糧餉輸送の厳達
- 保寧攻略が目前に迫る中、周有徳・張徳地・席卜臣や陝西督撫の糧餉輸送の怠慢を厳しく咎め、これまでの数年間の平定の遅れの一因であるとして、軍法をもって督励するよう命じた。
甲辰 四川回復・陝西防守の部署
- 皇帝は王進宝・趙良棟の功を賞し、両将を保寧・四川平定に向かわせる一方、大将軍図海には大軍の半数で鳳翔を守らせ、烏丹を将軍として佛尼勒とともに残兵で後詰めとするよう命じた。孫思克はもとの汛地の防守に専念させ、湖広提督徐治都には水軍で重慶を目指させた。将軍噶爾漢・総督楊茂勲・提督佟国瑶は興安攻略が遅れたため功績削減の処分とし、興安回復後は鄖陽の防守に転じさせた。
都統馬九玉への俸餉優遇
- 将軍巡撫傅宏烈の上奏により、靖南王旧部の都統馬九玉配下の兵の俸餉が不足していることが分かり、満洲官兵と同様の支給とするよう命じた。
乙巳 賊の蓄積糧の活用と史論
- 王屏藩らが漢中・興安で数年分の兵糧を蓄えているとみて、皇帝は諸将に恢復した城池・村落で賊の米穀を捜索・接収し、遠方からの輸送に頼らず軍糧に充てるよう命じた。
- 編者は、この措置により輸送の負担を減らし秦蜀の民の労苦も免れさせた点を評し、「因糧而敵」の兵法にかなうものと称えている。
己酉 辰沅水路の船艦整備
- 総督蔡毓栄の上奏に基づき、賊が上流白溶に多くの船を集めていることを警戒し、小船二百艘を造らせ官兵・水手を訓練させて水路の備えとした。
壬子 楊茂勲への進兵督促
- 郎中蘇赫臣を遣わし、王屏藩らの敗走に乗じて重慶・夔州を早期に攻略するよう総督楊茂勲・提督徐治都を督励させた。
甲寅 趙良棟に続く将軍烏丹らの進軍
- 趙良棟が略陽で賊六千余を斬り陽平関を回復したとの報を受け、皇帝は将軍烏丹・総督哈占にも大軍を進めさせ、王進宝・趙良棟の四川平定を後詰めさせるとともに、糧餉輸送を絶やさぬよう命じた。
乙夘 安親王岳楽の還京と彰泰の大将軍就任
- 岳楽に率兵の還京を命じ、固山貝子彰泰を定遠平寇大将軍に任じて武岡州など各地の留守配分(佐領ごとの留守・還京人数)を定めた。湖南は投誠間もない官兵が多いことから、彰泰らに引き続き警戒を怠らぬよう諭した。
- あわせて岳州の兵についても、内地化した岳州は撤収し、先に労苦した部隊から順に還京させるよう順承郡王勒爾錦に命じた。
丁巳 許貞への江西軍務統轄命令
- 大将軍安親王岳楽の上奏により老病の提督趙国祚らを解任し、提督許貞に江西全省の軍務を統轄させることとした。