平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙十六年 1677年

傅宏烈の募兵

  • 將軍莽依圖は、傅宏烈がわずか5千の兵で西路を単独で担い力が及ばないとして、満洲將軍1人と騎兵千余の派遣を要請していると奏上した。
  • 康熙帝は、傅宏烈が広西平定を単独で担うには重兵を随伴させるべきとし、広西の既定の兵額の枠内で自ら新復地の汛守と討賊のため募兵することを許した。また將軍穆占の広東進軍後、莽依圖と協議のうえ梧州への応援兵を検討させることとした。

丙午 穆占軍への増兵

  • 將軍穆占は、袁州で25日間の馬の休養後に樂昌へ向かうため長沙には兵を留めず全軍で随行すると奏した。
  • 康熙帝は改めて、佐領ごとに4人を安親王軍前へ分派するよう命じ、和碩額駙華善の兵は既に江西へ向かったため、簡親王は南昌・吉安駐留兵や穆占の経路上の兵から佐領ごとに3人を穆占軍に増派し、穆占には馬の休養は20日で切り上げ樂昌へ急行させ、簡親王は江西に留まり韓大任らの討滅を指揮するよう命じた。

戊申 傅宏烈軍への馬匹補給

  • 傅宏烈は、麾下数万の兵に馬がなく広い土地で騎馬の賊に対抗できないとして馬の支給を求めた。
  • 康熙帝は總督董衛國に江西馬千匹を送らせ、總督金光祖経由で傅宏烈軍に届けさせ、続けてさらに千匹を追加で送った。

甲寅 續順公部の潮州集結、蓮花山の戦勝

  • 大將軍康親王傑書は、海冦に捕らえられ台湾へ連行された續順公の官兵・家眷が分散して所属を失っていると奏し、康熙帝はこれらを一所に集めて潮州に駐留させ、副都統張夢吉・宋文科らに統率させ、將軍頼塔らと協同で守らせることとし、俸餉は侍郎達都に従来通り支給させた。
  • 將軍莽依圖は、9月24日に偽將軍胡國柱・馬寳らが万余の賊を率いて韶州を渡河し蓮花山方面から江寧大兵の営に迫ったが、額楚らが抗戦し莽依圖らも城中から兵を出して挟撃、4営を破って賊を大敗させ帽峯山へ敗走させたと報告した。

額楚の梧州出兵

  • 康熙帝は議政王らに、韶州の道が通じたため官兵を急派して広西を応援すべきとし、莽依圖に佐領ごとに満兵3人を統領江寧兵額楚に付けて梧州へ派遣し傅宏烈と協力させることとした。両広の兵餉・馬匹の緊急性から、戸部員外郎莫洛を派遣して既に贛州に届いていた餉銀を都統勒貝の兵とともに南雄へ運ばせ、韶州駐留の將軍らが受け取り両広へ転送、馬匹は江西督撫が選んだ官員に總督金光祖軍前へ護送させた。

金光祖の南寧攻略

  • 總督金光祖は、標下官兵2千を梧州攻略に、2千を韶州へ派遣し、韶州の賊を破った後は撤回して高州へ回し總兵官祖澤清と共に南寧などを攻めると奏した。
  • 康熙帝は、韶州の賊は既に敗れたため、金光祖に韶州派遣の兵を撤回させ祖澤清と共に南寧・柳州方面を攻略させた。

穆占部下官兵への恩賞

  • 穆占は、部下の兵を兵部の指示通り佐領ごとに4人副都統龔圖に付けて安親王軍前へ送ったが、緑旗兵と紅衣砲の扱いが指示になかったため緑旗兵全員と紅衣砲を携行させたと奏した。
  • 康熙帝は、穆占には馬の休養を予定通り終えたら速やかに討賊に向かうよう命じ、随行する緑旗官兵はいずれも秦楚で労苦を重ねた者として官員は加一級、兵丁には正項の賞賚を支給した。

丙辰 勒貝の韶州出兵

  • 將軍覺羅舒恕は、傅宏烈の書状で満洲大兵が梧州を守れば自ら広西平定に進めるとの内容を紹介し、韶州の賊が敗れた好機を捉え都統勒貝を韶州へ派遣して協力させるべきと奏した。
  • 康熙帝は、既に統領江寧兵額楚を傅宏烈救援に向かわせたため勒貝の広西派遣は不要としつつ、韶州の賊がなお敗走していなければ勒貝を韶州へ急行させ莽依圖らと協力して討滅させるよう命じた。

辛酉 温齊と周卜世軍の合流

  • 康熙帝は兵部に、山西提督周卜世の部隊が河南府で騒擾しかろうじて鎮まったとの報を受け、公温齊が進発する際に河南府経由で周卜世の兵を伴い荆州へ密かに護送するよう命じた。

乙丑 韶州の賊敗走、額赫訥の梧州出兵、尚之信の梧州派兵

  • 將軍莽依圖は、逆賊胡國柱らが我が軍に撃破され震え上がり、9月28日に帽峯山を捨てて逃走したため、数道に分けて追撃し樂昌を過ぎて仁化県を回復したと報告した。
  • 莽依圖はまた、韶州がすでに無事となった一方、傅宏烈の兵力が薄弱で満兵なしでは進撃が難しいとして、佐領ごとに兵3人半を副都統額赫訥に付けて梧州の応援に向かわせたと報告した。
  • 康熙帝は、莽依圖・額楚が韶州で賊を大破し追撃して仁化などを平定したことを賞賛し、額赫訥をそのまま梧州へ急行させ肇慶に留まらず傅宏烈と共に広西平定に当たらせ、額楚・赫勒布は莽依圖軍に留めた。
  • さらに議政王らに、莽依圖らの兵力が薄弱であるとして、平南王尚之信に部下官兵を選び都統尚之瑛あるいは總兵官王國棟に率いさせ梧州へ派遣し、満洲大兵と共に傅宏烈の広西平定を応援させるよう命じた。

戊辰 莽依圖の広西平定

  • 莽依圖は、自ら大兵を率いて広西を攻略し、平定後は勢いに乗じて衡州・湘潭を取りたいとして、根絶を期すため近隣の兵を分けて増援するよう求めた。
  • 康熙帝は、韶州の莽依圖部下は既に佐領ごとに7人、統領江寧兵額楚・署副都統赫勒布の兵が佐領ごとに3人、さらに都統勒貝が佐領ごとに2人増派されており兵力は十分に増えているとして、莽依圖には勒貝・額楚を韶州守備に残し自ら大兵を率いて梧州へ赴き傅宏烈と共に広西を平定、その後は状況に応じて湖南衡州・湘潭方面に進むか貴州へ直進して賊の後方を断つよう命じた。

壬申 福建軍功の叙勲

  • 康熙帝は兵部に、康親王が福建を平定したことを受け、隨征官兵の功に応じ叙勲するよう命じた。