平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙十六年 1677年

六月 尚之信の帰順と広東平定

  • 尚之信は莽依図の兵が韶州に至ると、五月四日に省城の文武官・兵民を率いて薙髪帰順し、皇帝は父可喜の平南親王爵を襲わせた。
  • 総督金光祖も部下に叛将雷孚を斬らせ偽総督董重民を捕らえたうえ肇慶で帰順した。皇帝は董重民ら要人を京師へ護送させた。

壬子 劉進忠への警戒

  • 尚之信の報告により、劉進忠が康親王の招撫文書を密かに呉三桂へ送り援兵を求めていたことが判明、傑書に警戒を命じた。あわせて岳州攻略用の鳥船建造を江寧巡撫慕天顔に急がせた。

丙辰 広東巡撫の人事と舒恕の安南将軍任命

  • 馮甦を広東巡撫としたが、呉三桂との関係が深く家族が雲南にいることを理由に刑部侍郎として召還した。
  • 覚羅舒恕を安南将軍とし贛州の統轄印を与えた。

丁巳 祖沢清の投降と喇布の失態

  • 尚之信の檄で高雷総兵官祖沢清が五月十九日に薙髪投降し、高雷廉三郡が平定された。
  • 董衛国が銅鼓方面の防備を巡り喇布と行き違い、省城の守兵が手薄になったことを皇帝は厳しく咎め、緑旗兵の調度は董衛国と協議のうえ行うよう命じた。

己未~辛酉 莽依図・嚴自明への指示と招撫の拡大

  • 莽依図に用兵の神速を求め、投降の疑わしい提督厳自明は広州で閑職に置いた。
  • 湖南・四川・雲南・貴州でなお賊中にある文武官民に対し、罪を問わず帰順を許す招撫の勅諭を全軍に布告させた。

庚午 劉進忠の福州召還

  • 劉進忠の投誠が偽りである疑いが強まったため、傑書に計略で福州へ召還させ、潮州は頼塔と拉哈達に分担して守らせることとした。史臣は、皇帝が進忠の狡計を早くから見抜き、後に耿精忠らと結んだ不軌を未然に防いだことを評した。

壬申~甲戌 平凉田租の免除と広東人事

  • 呉三桂の乱で荒廃した平凉・慶陽の田租を免除した。
  • 莽依図に韶州への帰還を命じ、王可臣を広東提督とした。

七月 金光祖の処分と韓大任の招撫

  • 金光祖が総督関防を隠匿していた責任を問われ革職のうえ戴罪図功とされた。
  • 喇布が吉安からの逸賊韓大任らを寧都・楽安で討伐しつつ招撫し、投誠の意向を確認した。

辛夘~丁酉 韶州防衛と祖沢清への恩賞

  • 呉三桂配下の偽将軍七人が三万の兵で宜章から樂昌・南安を窺う動きを見せたため、尚之信・莽依図・舒恕に韶州の防衛と応援を命じた。史臣は、皇帝の周到な備えにより韶州が守られ広東の安定が保たれたと評した。
  • 祖沢清の帰順の功を賞し都督同知・総兵官事に加えた。

穆占の湖南進軍方針転換

  • 岳樂の兵糧窮乏の報を受け、穆占には岳州への合流ではなく簡親王喇布と合流し衡州・永州方面を攻略、呉三桂の後路を断つ方針に転換させた。

傅宏烈の撫蛮滅冦将軍任命

  • 傅宏烈の広西攻略構想(土司への印信による招撫、尚之信兵との連合)を認め、撫蛮滅冦将軍の印を与え、軍資も手配した。

庚子~甲辰 恵州・瓊州の帰順

  • 海賊劉国軒が恵州を棄てて逃亡し、偽総兵陳璉が投降。瓊州総兵官佟国卿も五月二十九日に帰順し、広東全域が平定された。
  • あわせて簡親王喇布に袁州・萍郷の防備強化を命じた。