正月 趙頼の募兵と寧夏の兵変
- 総督董衛国の上奏により、提督趙国祚が三千の標兵を率いて安親王に従軍したため江西の緑旗兵に欠員が生じ、貴州提督趙頼に九江付近で三千の募兵を命じ李廷献ら八将に分属させ訓練させた。
- 提督陳福が寧夏惠安堡に駐屯し土黙特兵と合流して固原を攻略しようとしていたところ、康熙十四年十二月二十二日夜に営兵が突然反乱を起こし陳福が殺害された。皇帝は張勇・華善に協議のうえ官軍を慰諭させ、恰塔・拉篤祐の土黙特兵を靈州・定辺に駐防させ、真相究明を哈占・杭愛に命じた。張勇は自ら寧夏へ赴き、事後は鞏昌・秦州の情勢に応じて平凉・固原討伐に転じる方針を上奏した。
- 西寧総兵官王進宝を陝西提督に任じ秦州に駐させ西寧総兵官職も兼任させた。寧夏総兵官の後任は張勇・華善の選任に委ねた。
辛卯 洞鄂らへの平凉攻略督促
- 寧夏の兵変を受け、皇帝は秦省が平定しないのは平凉が下らず王輔臣が滅びないためだとし、洞鄂・張勇・哈占らに協議して平凉を速やかに攻取し糧道を断つよう命じた。
丙申 順承郡王勒爾錦への再度の譴責
- 勒爾錦は増兵の要求を咎められ、自ら罪を認めて部議への付託を願い出たが、皇帝は二年余り出兵しながら尺土も得られず、直言せず巧言で取り繕ったことをなお厳しく咎め、処分は進軍が終わってから改めて議すこととした。喇布に対しても、広東への援兵派遣が遅滞していることを咎めた。
天津総兵官の異動と寧夏提督の任命
- 張勇の推薦により天津総兵官趙良棟を寧夏提督(総兵官を改め提督とする)に任じ、陳福の弟である涿州参将陳竒を天津総兵官に抜擢した。
戊申 洞鄂らへの秦隴増兵指示
- 張勇の寧夏行きに伴い秦州方面の兵力が薄くなったため、洞鄂・席卜臣・哈占らに西安近辺の余剰兵を秦隴へ回すよう命じた。
庚戌 佟国禎の贛州派遣
- 董衛国が余干方面の討伐に自ら赴くため、南昌に留めていた巡撫佟国禎を、贛州の投降将士の統制のため贛州へ移すよう喇布が求め、皇帝はこれを認めた。
二月癸丑 尚之孝の広州帰還
- 病を得た尚可喜の要請により、子の尚之孝を潮州から広州へ戻し父の側で軍務を助けさせ、潮州方面の軍務は尚可喜の子弟の中から才幹ある者に整理させることとした。
戊午 広東への額赫訥派遣
- 馬雄・董重民・劉進忠らの侵攻で広東の官兵が肇慶からさらに惠州へ退いたため、額赫訥の兵を倍道で急派させた。
庚申 広東将校への加級と寧夏防備
- 広東で二年戦った将士を各一級昇進させた。あわせて陳福死後の靈州・定辺方面防衛について、恰塔らが黄河対岸に駐屯して両路を扼している旨の上奏を受け、寧夏協守を命じ、寧夏到着後の趙良棟と共同で軍務を議するよう恰塔・拉篤祐に指示した。
壬戌 図海の撫遠大将軍任命
- 洞鄂らが平凉を久しく囲みながら攻略できていないことを理由に、都統大学士図海を撫遠大将軍とし陝西全省の満漢大兵を統轄させ糧道遮断・平固討伐に当たらせた。図海到着後は各将軍の敕印を集め、洞鄂以下は大将軍の節制に服すこととした。
甲子・乙丑 張勇の鞏昌帰還と畢力克圖の寧夏派遣
- 呉之茂が鞏昌に迫ったため張勇を寧夏から鞏昌へ戻させた。あわせて寧夏駐留の満洲蒙古兵を統轄させるため都統畢力克圖に平逆将軍印を授け寧夏へ赴かせ、草の生える時期を待って鄂爾多斯兵を平固討伐に投入する方針とした。
戊辰 平凉への増兵と鄂爾多斯への諭示
- 洞鄂の兵力低下の報を受け、図海の兵から佐領ごとの驍騎を割いて河南経由で平凉へ送り、河南駐守は叅領胡什巴・額勒布に委ねた。また哈占の報告に基づき、鄂爾多斯の侵掠を戒める諭を郎中額業図に持たせて派遣した。
庚午 哈爾噶齊の広東派遣
- 惠州・肇慶方面の危急を受け、兖州の驍騎・蒙古兵と徽州・池州の満洲蒙古兵を将軍哈爾噶齊に統率させ広東へ急派した。江南・山東の守備も再配分した。
辛未・甲戌 康親王・尚善への督戦
- 康親王傑書の温州・福建攻略の遅滞(船待ちを理由とした遷延)を厳しく咎め、速やかに福建へ進むよう督促した。
- 尚善らも岳州で二年近く静観していることを咎め、安親王の長沙進攻に呼応して攻撃姿勢を示すか、進取不能なら牽制だけでも行うよう命じた。
哈爾噶齊の吉安救援
- 高大節らの数万の兵が吉安を包囲したため、広東へ向かっていた哈爾噶齊の兵の半数を南昌経由で吉安救援に転用し、粤道確保後に残り半数と合流させることとした。
乙亥・丙子 鄂爾多斯台吉への加級と陝西諸将への訓諭
- 出征に功のあった鄂爾多斯台吉らに各一級を加えた。
- 陝西諸将が敵と遭遇しても観望して進まず士卒のみを前進させている実情を厳しく戒め、図海の統轄下で改心して尽力するよう命じ、平凉包囲の将士には内帑白金五万両を頒賜した。
- 史臣は、将帥が率先垂範してこそ三軍が命に従うとの理を述べ、皇帝の訓戒と恩賞の併用が将士を奮起させ、後の図海による平凉回復につながったと評した。
吉安・萍郷の攻防
- 吉安陥落の報を受け、喇布・希爾根・董衛国に恢復を急がせ、哈爾噶齊にも協力させた。喇布は広信を一時放棄し額楚の兵と楽平の兵を吉安討伐に集中させる方針を上奏し、皇帝は饒州の守りを別途固めるよう指示した。
- 己卯、安親王岳樂が萍郷で賊の十二寨を破り一万余を斬首し、偽将軍夏国相が印を棄てて逃走、萍郷を回復した。皇帝は湖南への追撃を促しつつ、荊岳方面の大将軍らにも偵察と機動を命じた。
秦州方面の糧道と関山防備
- 哈占・杭愛に秦州軍前への輸送を急がせ、席卜臣・哈占には関山の守備を強化させた。洞鄂らの軍機はまず上奏し、あわせて大将軍図海にも報告するよう定めた。王進宝らの報告により秦州が北山の賊に糧道を断たれ苦戦していることを受け、洞鄂・席卜臣・佛尼勒・赫業・哈占・杭愛・華善・王進宝らに協議して兵糧の輸送策を講じさせた。