- 要旨: 呉起は、国を治め軍を用いるには文徳(内政・道義)と武備(軍事)の両方が必要であり、民の和を得てはじめて戦に臨めると説く。あわせて将たる者・君たる者の心構えと、軍の組織原則を論じる。
文武両道の必要性
- 呉起は儒者の服装のまま兵法をもって魏の文侯に見えた。文侯が軍事を好まないと言うと、呉起は、武具を整えるだけで実際に使いこなす者を求めなければ、闘志があっても滅びると説いた。
- 昔、承桑氏の君は徳を修めて武を廃したために国を滅ぼし、有扈氏の君は武勇を恃んで社稷を失った例を挙げ、名君は内に文徳を修め、外に武備を治めるべきだとした。
- 敵を前にして進まないのは義に反し、屍を見て哀れむだけでは仁に至らないと述べた。
- 文侯はこれに心服し、廟で呉起を大将に任じ西河を守らせた。呉起は諸侯との大戦七十六回のうち六十四回全勝し、残りも互角に収め、領土を大きく広げた。
民の和と四つの不和
- 国を治めようとする者は、まず百姓を教え万民を親しませねばならないとし、「国の不和・軍の不和・陣の不和・戦の不和」の四つが揃わなければ、出兵・布陣・進戦・決勝はできないとした。
- 有道の君主は民を用いる前に必ず和を図り、私意で事を進めず祖廟に告げ、亀卜と天時によって吉を確かめてから動く。民が君主の慈しみを知れば、進んで死ぬことを栄誉とし、退いて生きることを恥とするようになると説く。
道・義・謀・要と四徳
- 道とは根本に立ち返ること、義とは事を行い功を立てること、謀とは害を避け利に就くこと、要とは事業を保ち成果を守ることと定義する。
- 行いが道に、事が義に適わないまま高位にあれば必ず患いが及ぶとし、聖人は道・義・礼・仁の四徳によって民を安んじると説く。
- 例として、成湯が桀を討った際に夏の民は喜び、周の武王が紂を討った際に殷人が非難しなかった(いずれも紀元前11世紀頃とされる)ことを挙げ、天と人に順った行いだからこそ成功したとする。
礼義廉恥と勝利の限度
- 国を治め軍を治めるには礼と義を教え、恥を知らせることが要であり、恥を知る者こそ大にしては戦い、小にしては守れると説く。
- ただし戦に勝つことは易しく、勝利を守り続けることは難しいとし、「天下の戦国は、五勝すれば禍、四勝すれば弊、三勝すれば覇、二勝すれば王、一勝すれば帝となる」という言葉を引き、勝ちを重ねて天下を得る者は少なく、勝ちすぎて亡ぶ者が多いとする。
兵の起こる五つの理由と五つの兵の名
- 兵が起こる理由として、争名・争利・積悪・内乱・因饑の五つを挙げる。
- それぞれに対応する兵の名として義兵・強兵・剛兵・暴兵・逆兵を挙げ、暴を禁じ乱を救うのが義、衆を恃んで討つのが強、怒りによって興すのが剛、礼を棄て利を貪るのが暴、国が乱れ民が疲れているのに事を起こすのが逆であるとする。
- それぞれを制する道として、義は礼で、強は謙で、剛は言葉で、暴は詐で、逆は権謀で服させるべきだとする。
治兵・料人・固国の道
- 武侯の問いに答え、呉起は古の明王が君臣の礼と上下の儀を謹んで整え、吏民を安んじ、風俗に従って教化し、良材を選抜して不慮に備えたと述べる。
- 例として、斉の桓公が五万の兵を募って諸侯の覇者となり、晋の文公が前軍四万を集めて志を遂げ、秦の繆公(穆公)が陥陣三万を置いて隣国を服させたこと(いずれも紀元前7世紀頃)を挙げる。
- 強国の君主は民を吟味すべきだとし、胆勇のある者・進戦して忠勇を示したい者・身軽で走力に優れる者・失位して功を立てたい者・城を棄てた恥を雪ぎたい者、の五種を選んで別に組織することを説き、これらの精鋭三千人があれば、内から包囲を破り、外から城を落とせるとする。
陣・守り・戦の確実な道
- 武侯の問いに、賢者を上に、不肖を下に置けば陣は定まり、民が田宅に安んじ役人に親しめば守りは固まり、百姓が自国を是とし隣国を非とすれば戦には既に勝っていると答える。
楚荘王の故事に見る戒め
- 武侯が謀議で群臣が誰も及ばぬことを喜んだ際、呉起は楚荘王の故事を引く。荘王もまた同様に群臣が及ばぬことを憂えたという。申公の問いに荘王は、世に聖人が絶えず国に賢者が乏しくないのが常であり、師を得た者は王となり友を得た者は覇となる、自分が凡庸で群臣が及ばないのは楚国の危機だと答えたという(春秋時代、紀元前7〜6世紀頃)。
- 呉起はこの故事を挙げ、武侯が喜んだことをひそかに憂えたところ、武侯は恥じ入った。