再刻の経緯
- 荀悦の『前漢紀』三十巻と袁宏の『後漢紀』三十巻は、祥符年間に銭塘で版刻されたが、版が失われてからほぼ百年になる。
- 今回はじめて二書を合わせ、諸家の博本を用いて異同を校合し、誤りを正した。おおむね筋の通った読める本になったので、改めて刻することにした。
紀と書のちがい
- 両漢の事跡がもっとも備わっているのは、司馬遷・班固・范曄の書と、荀悦・袁宏の書とがともに残っているからである。
- 事を編年にまとめたものを「紀」といい、事を伝・表・紀・志に分けたものを「書」という。
- 荀悦・袁宏の紀を読むときは班固・范曄の書が存在しないかのようであり、班固・范曄の書を読むときもまた荀悦・袁宏の紀が存在しないかのようである。それぞれが自分の叙述によって後世に通じている。
- 荀悦の作は班固より後、袁宏の作は范曄より先である。先後があり詳略もあるが、その体裁と凡例は黒と白が混ざらず、河と漢(天の川)が交わらないように、たがいに紛れることがない。
両紀の価値と伝来
- 荀・袁の二紀は、朝廷の紀綱、礼楽刑政、治乱成敗、忠邪是非といった問題について、指摘し論じるたびに意を尽くしている。
- そのため文章は縦横に伸びやかで、繰り返し論じて筋道が明白であり、当代に説き示すとともに、限りなく後世への訓戒を残している。書物としてすぐれている。
- それにもかかわらず、班固・范曄の二史に比べると欠け散じて伝わらず、わずかに篇目が残るだけであった。世の巡り合わせにはおのずと順序があり、書物の顕れると隠れるにも時があるようだ。
王公の刊行事業
- 編修の王公は古訓に通じ、群書を広く究めた人である。浙東に出使したとき、すでに劉氏の『外紀』を刻して『資治通鑑』を補い、さらに『旧唐書』を重刻し、この『両漢紀』の刊行にまで至った。その労苦と勤勉はことに力を尽くしたものである。
- 諸書がすべて揃ってはじめて、上下数千年の間を次々にたどって繋げられる。廃れかけたものを世に出そうとするその心づかいは高遠であり、学者に恵みを加えるものであって、ある時に一書一集を刻するのとは比べものにならない。
校讎についての意見
- 私(筆者)はかねて、文字を校合して正すのは儒者の第一の務めだが、一つの見方に固執して自分の考えで改めるのは慎むべきだと言ってきた。
- 一字の疑わしい箇所は、後に善本を得て正せることがある。もし安易に自分の考えで改めれば、疑いがそのまま事実となって世に伝わり、その字は自分のせいで失われてしまう。だから学者は、緩急を心得て融通することを尊ぶのである。
- 王公は私の言を聞いて喜んで容れてくれたので、あえてこれを巻末に載せた。
結び
- そこで論ずるに、王公はこの二紀を深く考え、『漢書』とは性格が異なるのだから、並べて後世に伝えるべきで、一方をもって他方を廃するわけにはいかない、一字たりとも混ぜてはならないという趣旨を述べた。その慎重さはこのようであった。
- また、瑰奇偉麗の書物も、人を得てはじめて世に顕れるのだということが、これによって分かる。
- 紹興十二年六月甲子の日、汝陰の王銍が序す。