盗賊の蜂起
- 春正月己卯、天下に大赦した。
- 二月、滎陽で盗賊が起こった。
- 三月、河南尹の何苗がこれを撃ち破った。何苗を車騎将軍とし、済陽侯に封じた。
- 夏、狄道の人王国が反した。黄巾の乱以後、盗賊が群れをなして起こり、刺史や二千石を殺す例があちこちで見られた。
人事
- 夏四月、太尉の張温が賊を平定できないとして罷免され、司徒の崔烈が太尉となった。
- 五月、司空の許相が司徒、光禄勲の丁宮が司空となった。
傅燮と趙忠
- 秋九月、大長秋の趙忠が車騎将軍となった。執金吾の甄挙が太僕となり、趙忠に語った。傅南容には古人の節がある。以前、軍中で功があったのに封じられず、天下は失望した。今、将軍がその任にあるのだから、賢者を進め冤枉を正して衆望に応えるべきだ、と。
- 趙忠はその言を容れ、弟の趙延に書を持たせて丁重に伝えさせ、「南容が少しでも私に応じてくれれば、常侍にとって万戸侯を得させることなど難しくない」と言わせた。
- 傅燮は顔色を正して拒み、遇うか遇わないかは運命であり、功があっても評価されないのは時勢だ、傅燮がどうして功もないのに私的な賞を求めようか、と答え、その書に返事もしなかった。
- 趙忠はいよいよ傅燮を恨んだが、その高名を憚って害することはできず、漢陽太守として外に出した。
長沙の賊と人事
- 冬十月、零陵の盗賊が長沙を侵した。太守の孫堅が討ち破り、孫堅を烏程侯に封じた。
- 十一月、太尉の崔烈が長患いのため罷免され、大司農の曹嵩が太尉となった。
張純の反乱
- この年、漁陽の人張純が反した。
- もともと幽州の烏桓を徴発して涼州を討たせようとしたとき、元中山相の張純がこれを率いたいと願い出たが許されず、涿県令の公孫瓚が起用された。
- 張純は率いられなかったことを恨み、元太山太守の張挙を説いた。烏桓はたびたび徴発されて死者が続き、いまや命令に堪えられずみな乱を望んでいる、国家がこのような事をするのは漢の命運が衰える徴であり、天下は覆る、若い者を率いていても英雄が起てば誰も防げない、自分は今、烏桓を率いてあなたを君として奉りたいがどうか、と。
- 張挙は、漢の命運が尽きるならそれを待つ者がいるはずで、自分がそうであってよいものか、と答えた。張純は、王者の網が破れて鹿が走り出せば智の多い者がこれを得るのだ、心配は無用だ、と言った。
- こうして二人はともに烏桓を率いて乱を起こした。旧知の者たちは喜んで張純に帰し、日に十余万に達した。