騄驥廏丞の設置と馬価の高騰
- 春、はじめて騄驥廏丞を置き、郡国から調達される馬を受領させた。しかし豪族が買い占めたため、馬一匹の値が二百万にまで上がった。
大赦と人事
- 夏四月庚午、天下に大赦した。司徒の陳耽は任に堪えないとして罷免され、太常の袁隗が司徒となった。
- 六月、皇后の父何真に車騎将軍・舞陽宣懐侯を追贈した。
- 秋七月、五色の鳥が新城に現れ、多くの鳥がこれに従った。民はこれを鳳凰と呼んだ。
- 九月庚寅朔、日食があった。
- 冬十月、太尉の許郁が辟召を誤ったとして罷免され、太常の楊賜が太尉となった。車駕が広城に行幸した。
後宮の市と驢馬の流行
- この年、後宮で人々に店を並べさせて売買をさせ、互いに盗み合わせ、争って進賢冠をかぶらせた。また西園で四頭の驢馬に車を引かせ、霊帝自ら手綱を取って乗り回して楽しんだ。
- そこで公卿・貴戚が次々に真似をし、驢馬に軽車を引かせて騎従とするまでになり、互いに驢馬を求め奪い合って、驢馬の値が馬と並んだ。
- 本志には次のようにいう。天を行くものは龍に及ぶものはなく、地を行くものは馬に及ぶものはない。詩に「四頭の牡馬が勢いよく、これが常の装いである」という。驢馬は重い荷を負って遠くへ運ぶもので、野人が使う獣であって、帝王や君子が乗馬に用いるべきものではない。その鈍い家畜を今貴んでいるのは、天意が「国はまさに大いに乱れ、賢愚は逆さまになり、執政者はみな驢馬のようだ」と言っているようなものである。