後漢紀巻第二十四 孝靈皇帝 光和元年 178年

日食・地震と鴻都門生

  • 春二月辛亥朔、日食があった。己未、京師で地震があった。
  • はじめて鴻都門生を置いた。当初は経学によって人を招いたが、のちには手紙文や詞賦を作る者、書や鳥篆に巧みな者まで数千人に達した。彼らは州郡の長官として出され、あるいは尚書・侍中として朝廷に入り、侯爵を賜る者もいた。
  • 三月癸丑、光禄勲の袁滂が司徒となった。辛未、大赦した。

雌鶏の雄化と白衣の男

  • 夏四月丙辰、京師で地震があった。侍中の官署にいた雌鶏の体が全部雄に変わったが、頭の鶏冠だけはまだ変わらなかった。
  • 五月壬午、由来のわからない白衣の男が徳陽門から入り込み、自ら梁伯夏と名乗り、「伯夏が私に殿上へ上って天子となれと教えた」と言った。中黄門の桓覧が捕らえようとしたが、逃げて行方がわからなくなった。
  • 蔡邕はこれを解釈して、恭しさを欠くと鶏の怪異が起こる、頭は元首であり君主の象である、今は鶏の体だけが変わって頭には及んでおらず、そのうちに君主が気づいたのは、事が起ころうとして遂げられない兆しだと述べた。
  • また、成帝のとき男子の王襃が絳の衣を着て宮中に入り殿上に上って「天帝が私にここに居れと命じた」と言い、のちに王莽が帝位を簒奪したことを引き、今回は成帝の時と似ているが衣服が異なり、まだ雲龍門より奥に入っていないので、王氏のような謀は起こるが成就しないだろうとした。のちに張角が乱を起こし、まもなく誅滅された。

三公の交替

  • この月、太尉の孟郁と司空の陳耽が災異により罷免され、太常の袁豔が司空となった。

温明殿の黒気と楊賜・蔡邕の対策

  • 六月丁丑、温明殿の庭に長さ十余丈の黒い気が現れ、姿は龍に似ていた。詔で光禄の楊賜と議郎の蔡邕に、祥瑞・災異と禍福吉凶の所在を問うた。楊賜は博学の大儒であったので、密詔で意見を残らず述べるよう求められた。
  • 楊賜は天を仰いで、張禹の伝を読むたびに憤りを覚える、自分はわずかな学問で先師の末席を汚し代々寵遇を受けてきた身であり、それでも上疏して思うところを述べるべきなのに、まして今こうして諮問を受けたのだからと嘆じ、自筆で答えた。
  • その答えは、経伝には神を得て興った国も、神を得て滅んだ国もあり、国家が清明なら天は徳をみそなわし、邪で乱れていれば禍を示す、と説く。嘉徳殿に現れた黒気は経伝に照らせば虹蜺という妖邪の気で、正しくない象である。春秋讖には「天が虹蜺を投ずれば天下は怨み海内は乱れる」とあり、四百年の期限も近い。易にも「天は象を垂れて吉凶を示し、聖人はこれに則る」とある。
  • 疑わしいのは、後宮に寵愛を恃んで放縦にふるまう者があり、側近の寵臣と結んで朝政を専らにし、君主の目を欺いていることだ。また鴻都門の下に小人を招き集め、旬月のうちに次々に抜擢する一方、士大夫は田畝に埋もれている。冠と履が逆になり、丘と谷が入れ替わったようなもので、小人の邪な考えに従い無知な私欲に順うこれほどの危うさは今に極まる。幸い天が象を垂れて譴責してくれた。
  • 周書に「天子が怪異を見たら徳を修めよ」とある。経典の戒めを慎み、災異を転じる道を図り、へつらう巧みな臣を退け、隠棲する賢者を速やかに召し、内は張仲を親しみ外は山甫を任じ、遊興を抑えて政務に心を留めれば、天の威も収まり多くの異変も鎮まるだろう、と述べ、師傅の任を受け特別の寵を蒙った老臣として、残り少ない命を惜しまず真心を尽くすと結んだ。
  • 蔡邕の答えは、天が大漢に懇ろであるからこそ妖変をたびたび出して譴責し、君主に悟らせようとしている、災異が他所ではなく遠くは門や垣、近くは官署に現れるのは、戒めとして切実そのものだ、とする。虹蜺の墜落や雌鶏の変化はいずれも婦人が政に姦を働いた結果である。
  • 即位以来、中宮には特に問題となる寵愛はないが、乳母の趙嬈が重んじられ、生前の財産は国庫に匹敵し、死後の墓は園陵をしのいだ。続いて永楽門の吏の霍玉が城社の勢いに寄りかかって甚だしい姦計を働き、人を惑わした罪が遅れて露見した。虹蜺が庭に集まり雌鶏が変化したのはこのためではないか。今また巷では程夫人という者のことが語られており、趙嬈・霍玉を深く戒めとすべきだ。近くを正さなければ遠くを正すことはできない。
  • 長水校尉の趙玹と屯騎校尉の蓋延は、すでに十分に貴く富んでいるのだから、私的な引き立てで得た地位である以上、早く身を引いて「小人が位にある」という易伝の咎を解くべきだ。
  • 一方、廷尉の郭僖は篤実で国の老成、光禄大夫の橋玄は聡明で率直、山甫のような資質がある、元太尉の劉寵は忠実で正を守り剛直で曲がらない。彼らを謀の中心に据えてしばしば諮問すべきである。宰臣・大臣は君主の手足なのだから、小役人が大臣を削り取るような言を容れてはならない。それを断ち、万機に心を用いて天の期待に応えてほしい。朝廷が自ら引き締めれば側近も従って変わる。天道は満ちるのを憎み、鬼神は謙るのを好む。
  • 蔡邕は最後に、自分は愚直で感激のあまり身を忘れ、忌諱を冒して自筆で答えた、君臣の間で秘密が漏れれば災いとなるので、この上表は伏せておいてほしい、と願った。
  • 上奏を知った趙玹と程黄はともに蔡邕を讒言し、蔡邕は下獄して棄市にあたるとされた。中常侍の呂強が蔡邕に罪のないことを憐れみ、霊帝に願って死一等を減じさせ、朔方へ流された。のち赦に遇って本郡に還った。

星変・皇后廃立と人事

  • 秋八月、星孛が天市に現れた。
  • 冬十月、太尉の張顥と司空の袁豔が長患いのため罷免され、太常の陳球が太尉、射声校尉の袁滂が司空となった。
  • 十一月、皇后の宋氏が廃された。皇后は寵を失っており、宮人や寵姫たちがそろって讒訴し、呪詛したと誣告した。霊帝は璽綬を取り上げ、皇后は憂いのうちに死んだ。父母・兄弟はみな誅された。
  • 常侍や小黄門たちは宋氏に罪のないことを憐れみ、皇后と父母兄弟を皋門亭に葬った。そこは宋氏の旧来の墓所であった。
  • 丙子晦、日食があった。太尉の陳球が災異により罷免された。
  • 十二月丁巳、光禄勲の橋玄が太尉となった。

是歳の怪異

  • この年、馬が人を生んだ。京房の易伝には「上に太子がなく諸侯が互いに伐つと、その妖として馬が人を生む」とある。