後漢紀巻第二十一 孝桓皇帝 建和三年 149年
二月 周挙への追賞
- 二月己丑の詔。昔の代には賢者の墓を封じ、その里門に敬礼して忠を励まし俗を正し、後世を輝かせた。
- 故光禄大夫の周挙は、性は伯夷・叔斉に等しく、直さは史魚に並ぶ。内に入っては議に参与して意見を納れ、外に出ては京師を司って静かに治める風があった。その勲を尊んで三公に登らせようとしたが、不幸にも早世した。まことに惜しい。
- 詩にも「はじめて功に励めば、それによって福を賜う」とある。銭千万を賜って、その清らかな節操を表彰せよ、とした。
四月 肉の雨と李固・杜喬の冤
- 四月丁卯の晦、肉が雨のように降り、大きさは手ほどであった。
- 本志は、見ることが明らかでないのを「哲ならず」といい、その時には赤い怪異が起こるとし、肉の雨は赤祥に近いとする。
- 当時は太后が摂政し、梁冀が権を専らにして、良臣の李固と杜喬を不当に誅したため、天下がこれを冤としていた。
十月 太尉の交代
- 十月、太尉の趙誡が病により罷免され、司徒の袁湯が太尉となった。