贖罪と禁酒
- 冬十月辛丑、郡国と中都官の死罪の囚人のうち大逆以下の者に、絹を納めて罪を贖わせた。吏民が酒を売買することを禁じた。
- 十二月辛丑、贖罪の物を納められない死罪の者は臨羌へ送り、二年間そこに置くこととした。
馬寔
- 匈奴中郎将の馬寔が辺境で功を挙げ、詔書で褒賞され銭十万を賜った。
- 馬寔は字を伯騫といい扶風茂陵の人。昼は経書を誦し夜は弓と兵法を習い、名士を慕って豪傑と交わり、荷を担いで歩いて千里を遠しとしなかった。
- 山陽の王暢が当時知られていたので、寔はその名を慕って訪ねた。暢はその出方を見ようとしてすぐには会わず、門番に、出かけて日を越えてまだ戻らぬと言わせた。寔は何日も留まったが、なお戻らぬと言われた。
- 寔は従者に、孝子が親に仕えるなら外出しても日を越えずに帰るものだ、今も帰らぬというなら孝子ではないと言った。暢はこれを聞いてただちに招き入れ、並の人物ではないと知った。寔は入ってその母に会い、よしみを結んで退いた。
- 退くとき寔は暢の手を取って言った。最上は徳を立てること、その次は功を立てることである。幸い共に盛んな明るい世に生まれたのだから、千年に名を残すべきで、いたずらに天地の間に存在するだけではいけない。それぞれ仁を行うべき機会に遇ったら、互いのことを忘れずにいよう、と。
- 帰って孝廉に挙げられ尚書郎に補された。西羌の乱のとき王暢が寔を当局に推薦し、これによって匈奴中郎将となった。