後漢紀巻第十八 孝順皇帝 永和元年 136年

北郷侯の諡号をめぐる議論

  • 春正月己巳、天下に大赦した。
  • 詔して公卿に、北郷侯に諡を加えて昭穆に列し位牌を立てるべきかを問うた。群臣はみな諡を加えるべきだとした。
  • 司隷校尉の周挙が議した。北郷侯はもともと正統ではなく姦臣に擁立された者で、立ってから一年も経たず年号も改まらぬうちに天に見放されて夭折した。
  • 孔子は春秋を作って王者の制を示したが、王子猛には「崩」と書かず、魯の子野には葬儀を記さなかった。北郷侯には他に功徳もなく、王の礼で葬ったのですでに十分に手厚い。諡を称すべきではない。帝はこれに従った。

天変と人事

  • 夏四月壬寅、皇后の母に開封君の号を追贈した。
  • 冬十月丁未、永福殿が焼けた。
  • 丙子、太尉の龐参が長患いのため策免され、前の司空の王龔が太尉となった。

武陵蛮の内属をめぐる議論

  • 十月、武陵太守が、蛮夷が朝廷の恩を慕って貢納し漢民並みの扱いを受けたいと願い出ていると上奏した。議者は認めてよいとした。
  • 尚書令の虞詡が反対した。古の聖王は異俗を臣としなかった。徳が及ばず威も加えられないからである。蛮夷は獣のような心で貪欲、統御しがたい。だから緩やかに繋ぎとめて撫し、帰服すれば受け入れ、背いても追わなかった。
  • 今、税を課せば必ず怨んで叛き、叛けば討伐のためにまた軍を起こすことになる。得るものは費やすものに見合わず、後悔しても取り返しがつかない。帝は従わなかった。

虞詡の出自

  • 虞詡は字を昇卿といい陳国武平の人。祖父の経は獄吏で、常に于公の裁きに倣っていた。虞詡が生まれたとき、自分は于公に及ばぬが子孫は九卿に至るだろうと言い、字を昇卿とした。
  • 幼くして父母を失い祖父母と暮らし、十三歳で尚書に通じた。国相が非凡と見て吏に採ろうとしたが、祖母は九十歳で家は貧しく、自分がいなければ養えないと言って辞退した。