後漢紀巻第十六 孝安皇帝 永初二年 108年

春 旱と太后の親臨

  • 春、京師が旱に見舞われた。
  • 太后が自ら洛陽の獄に赴き、囚人の罪状を点検した。

夏四月 濮陽の大火

  • 甲寅、濮陽の阿城で失火があり、三千余人が焼け死んだ。

冬 羌の偽降と鄧隲の大将軍就任

  • 冬十一月、車騎将軍の鄧隲が平襄で羌と戦った。羌は偽って降伏し、まもなく再び叛いて辺郡を侵掠したため、官吏や民の死者は数知れず、并州・涼州は荒廃した。
  • 十二月、鄧隲を京師に召還し、使者を遣わして大将軍に拝した。詔により大鴻臚が自ら出迎え、中常侍が郊外で労い、乗馬と束帛を賜った。
  • あわせて鄧悝を執金吾、鄧弘を屯騎校尉、鄧闓を捕兵校尉とした。

杜根の直諫と生還

  • 郎中で潁川の杜根が、同じ部署の郎たちとともに、太后が長く政を執るべきでないと諫めた。太后は怒り、絹の袋に杜根を入れて殿上で撲殺させた。諫めた者は皆撲たれた。
  • 杜根はあらかじめこれを察し、撲つ役の者をひそかに味方につけていたので、執行者は力を入れずに済ませた。終わると皆城外に運び出され、杜根は打撃が軽かったため助かった。
  • 杜根は宜城の山中に逃れ、酒屋の使用人として十年余りを過ごした。酒屋の主人は彼が賢者だと知って常に厚遇した。
  • 鄧太后が崩じた後、天子は杜根らの忠節を知り、広く天下に告げてその子孫を登用させた。杜根は自ら名乗り出て公車で徴され、昇進して済陰太守となり、徳と譲りをもって政を行い、風俗を改めた。

この年の地震

  • この年、十の郡国で地震があった。