後漢紀巻第十四 孝和皇帝 永元十五年 103年

春夏 賑恤と日食

  • 二月、備蓄を出して郡国の被災した貧民に差をつけて貸し与えた。
  • 四月甲子晦、日食があった。

冬 行幸と洛陽令王渙

  • 十月戊申、章陵に行幸して旧宅と園廟を祀った。戊午、雲夢に行幸した。
  • このころ広陵の人の王渙が洛陽令となり、際立った治績をあげた。渙は初め侠気を尚ぶ人物だったが、晩年に儒術を好み、政治では名と実を照合して責任を求め、強者を抑え弱者を助けた。官職を統合し、吏には書佐・小史を兼務させ、用事のないときは全員に孝経を読ませた。
  • 在職のまま病没すると、民は老幼を問わず胸を叩いて泣き、金を出し合って祭る者が数千人に及んだ。渙の柩が郷里へ帰る際、新安の道より西の沿道では、あちこちで人々が集まって祭壇を設けた。吏がわけを尋ねると、以前は洛陽に来るたび役人や兵に物を奪われたが、王君が洛陽に着任してからは侵害されなくなった、その恩に報いたいのだと口々に語った。
  • 後に民はその徳を偲んで安陽亭の西に祠を建て、酒食のたびに琴を弾き歌って供えた。