春正月・大赦と東平王への遺衣
- 春正月己酉、天下に大赦した。
- 東平王への詔の趣旨は次のとおり。師に聞くところでは、その品物が残って人が亡ければ、哀しみを口にせずとも哀しみが自ずと湧く、という。王の孝友の性ならなおさらであろう。今、光烈皇后の衣一箱を王に贈る。折にふれて礼拝し、母を慕う思いを慰めよ。また後の子孫が先后の衣服を目にできるようにせよ。今も魯の孔氏には仲尼の衣車が残っている。徳の盛んな者は輝きが遠くまで及ぶのだ。京都の子孫にもそれぞれ光武皇帝の衣一箱を得させ、諸国に分け与えてあるので改めて送らない。
- 乙卯、広平王・鉅鹿王・楽成王が封国に赴いた。
三月・竇皇后の冊立
- 三月癸巳、皇后に竇氏を立てた。天下の男子に爵二級、三老・孝悌・力田に三級、鰥寡孤独で貧しく自活できない者に粟五斛を賜った。
- 竇后は竇勲の娘である。勲は沘陽公主を娶り、四男二女をもうけた。男子は憲、次いで景・篤・瓌である。
- 后は容貌と才能に恵まれ、帝はこれを聞いてたびたび諸家に問い合わせた。后とその妹が沘陽公主に従って長楽宮に参内したとき、立居振舞いが行き届き、太后に仕え、下は侍御に至るまで、献上や贈答すべてにおいて歓心を得た。太后は非凡と認め、天子も意に適った。こうして掖庭に入った。
- 后は機敏な性で、称賛が日ごとに聞こえた。太后は天子の意を汲んで皇后に立て、后宮を独占した。父の勲には安成思侯の爵と諡を追贈した。
- 竇憲兄弟は寵愛されて宮中に侍り、賞賜は日ごとに厚くなった。馬氏の侯や王・公主の親類まで、これを憚らない者はなかった。
竇憲の田地強奪
- 竇憲は勢いに乗じて放縦にふるまい、沁水公主の田を奪った。公主は憲を畏れて争えず、側近も敢えて言わなかった。天子がかつて公主の邸に行幸して田のことを尋ねると、憲は借りたのだと言い繕った。
- のちに天子が真相を知って激怒し、詔で田を公主に返させ、憲を厳しく責めた。その言葉は、これは鹿を指して馬というのと何が違うか、思い返すたびに人を驚かせる、昔、先帝は常に外戚の田宅について戒められたのに、憲は逆に公主の田を奪った、まして庶民に対してはどうか、彫りようのない材は引き立てられない、お前たちを孤児の雛や腐った鼠のように棄てるだけだ、というものであった。
- 皇后が衣を脱いで謝罪し、しばらくして怒りが解けた。これによって帝は憲らを高位に就けず、憲は侍中・虎賁郎将にとどまり、景と瓌はいずれも黄門郎であった。
秋冬・馬防の帰還と厚遇
- 秋八月辛巳、行車騎将軍の馬防が京師に帰還した。車駕が自らその邸に行幸し、後に賞賜を加えた。天子は馬防の功を称えて史官に頌を作らせたが、毎年吏二人を推挙させることはしなかった。
- 冬十二月丁酉、行車騎将軍のまま城門校尉を兼ねさせ、位は九卿を超え、班列は三府と同じとし、掾吏十人を置いた。
- 天子は衛尉の馬廖を朝会で馬防の上席に置き、廖を優遇しようとした。廖は辞退し、朝廷は爵をもって王道の拠りどころとし昇進降格の序としている、子が父に先んじるのは大臣や列国の綱紀に反する、今、一臣のために朝廷の序を乱すのは受けられない、と述べた。
是歳・班超の増援要請
- この年、班超が疏勒ら諸国を率いて姑墨城を破り、上書して援助を求めた。その趣旨は次のとおり。
- 先帝は西域校尉の策を聞こうと十余年思案し、大方針を立てて北は匈奴を撃ち西は諸国に使者を送った。そこで鄯善ら諸国は皆力を尽くすことを願った。亀茲を滅ぼし道を開くことは、百分すれば西域全体の一にも満たない労である。
- 自分は身を荒野に棄ててでも聖朝の当初の志を成し遂げたい。昔、魏絳は晋の大夫として諸戎を和合させた。まして自分は聖漢の威に乗り万死の志を抱いているのだから、鈍い刀にも一度は切れる働きがあることを願う。
- 前代の議者は皆、三十六国を取ることを匈奴の右腕を斬るというと述べた。こうして西域が定まり、今、諸国は西の日の入る所まで皆帰化して国の珍宝を献じ、その往来は絶えない。ただ焉耆と亀茲だけが服従しない。
- 自分は初め官属三十六人と疏勒にあって幾多の苦難に遭い、すでに五年になる。大小の者は皆、漢に依るのは天に依るのと同じだと言う。これで自分が葱嶺を通じ得ることが分かる。葱嶺が通じれば亀茲を討てる。
- 今、亀茲の人質である白霸をその国王に立て、歩騎数百で送り込み、諸国と兵を連ねれば、歳月のうちに亀茲を捕らえられる。この四月に疏勒に到着する。于闐・莎車・疏勒の兵で蛮夷を撃つことを願う。これが上策である。
- 自分はただ西域が平定され、陛下が万年の杯を挙げて大いなる喜びを天下に布かれることを願うのみである。
- 天子は班超の上奏を見て西域が成し遂げられると知り、班超に兵を与えることを議した。平陵の徐幹らはもとより班超と親しく、上疏して身を奮って班超を助けたいと願い出た。天子は徐幹を仮司馬とし、減刑された囚人と志願兵あわせて千人を率いて班超のもとへ赴かせた。