大赦と人事
- 春正月乙亥、天下に大赦を行った。
- 大司空杜林が没し、太僕張純が大司空となった。
杜林の経歴
- 杜林は字を伯山といい、右扶風茂陵の人。父の杜業は文章で名を知られた。
- 若くしてすぐれた才があり、学問を好んで思索が深く、古学を愛した。家に蔵書が多く、母方の張竦父子が文章にすぐれていたので、杜林は張竦について書を学び、内外の学問に染まって当代の通儒となった。
- 王莽が敗れて盗賊が各地に起こると、杜林は弟の杜成とともに河西へ移った。隗囂は杜林の名声を聞いて厚遇し治書に任じたが、杜林は病を理由に辞した。
- 隗囂がさらに抜擢しようとすると、杜林は持病を口実に拒んだ。隗囂は内心恨みつつ「杜伯山は天子も臣下にできず、諸侯も友にできない男だ。伯夷・叔斉が周の粟を恥じたのと同じだ。当面は師友の待遇を与えて志のままにさせよう」と言った。杜林は困窮しても最後まで屈しなかった。
古文尚書一巻
- 杜林はかつて漆書きの古文尚書一巻を手に入れ、これを一人で宝としていた。苦境に陥るたび、自分は世の人々を救えないと思いながらも、この経巻を抱きしめて「古文の学はここで絶えてしまうのか」と嘆いた。
帰郷と出仕
- 建武の初め、弟の杜成が死んだため、杜林は喪に服して東へ帰った。隗囂は杜林を送り出したことを後悔し、刺客の楊賢に隴で待ち伏せて刺すよう命じた。しかし楊賢は、杜林が自ら車を押して弟の棺を運ぶ姿を見て、「今の世に義を行える者がどれほどいよう。自分は小人だが義士を殺すには忍びない」と嘆じて逃げ去った。
- 皇帝は杜林が帰還したと聞いて召し出し、侍御史に任じた。引見して経書や旧事、西州の情勢を尋ね、大いに喜んで車馬や衣服・夜具を下賜した。一年余りで司直に昇進し、官僚たちは杜林が名声によって用いられたと知り、大いに敬い憚った。
古学の継承
- 杜林が京師に着いて俊才たちと集まると、皆その博識と該博な見聞に敬服した。河南の鄭興、東海の衛宏らはいずれも古学に長じ、劉歆に左氏春秋を学んで三統暦を定めた者たちだったが、杜林に会うと皆心服した。済南の徐兆は初め衛宏に師事していたが、のちに揃って杜林に学び直した。
- 杜林はかつて得た古文尚書一巻を衛宏に示し、「西州で危難にあったころ、いつもこの学問は絶えると思っていた。まさか東海の衛宏、済南の徐生がまたこれを継ぐとは。この道は地に落ちなかった」と語った。