後漢書卷八十八 虞傅蓋臧列傳第四十八 傅燮

傅燮

  • 傅燮、字は南容。北地郡霊州の人。太尉劉寛に師事し、皇甫嵩とともに黄巾討伐に従軍した際、宦官の専横を憂い、虞舜が四凶を除いてから十六相を用いた故事を引き、黄巾討伐と並行して宮中の姦臣を除くべきと上疏したが、宦官趙忠の恨みを買い、黄巾討伐の功に見合う封を得られなかった。
  • 安定都尉・議郎を経て、西羌の反乱に際し司徒崔烈の涼州放棄論に「司徒を斬れば天下は安んずる」と激しく反論し、涼州の戦略的重要性(高祖の隴右経略、武帝の四郡設置)を説いて涼州放棄を阻止した。
  • 車騎将軍趙忠に功を評価されながらも贈賄の誘いを拒み(「遇不遇は命、功があっても私賞は求めない」)、恨みを買って要職に就けず、漢陽太守に転じた。羌の懐柔に成功し屯田を広げたが、刺史耿鄙の無謀な出兵に反対しつつも従い、反乱軍に漢陽城を包囲された。
  • 息子の幹の勧めで城を捨てて郷里に帰ることを勧められたが、「殷紂の暴も及ばぬこの朝廷を見捨てられぬ」「浩然の志は乱世でこそ養うもの」と拒み、敵将の降伏勧誘も剣を抜いて一喝、戦って死んだ。諡は壮節侯。子の幹も才知に優れ扶風太守に至った。