後漢書卷八十五 章帝八王傳第四十五 平原懷王勝
平原懷王勝
- 和帝の長子(母の記載なし)。幼くして持病があり、延平元年に封ぜられ八年在位して京師で薨じた。子なく、鄧太后は楽安夷王寵の子得を平原王(哀王)として後を継がせたが六年で薨じ子なく、永寧元年に太后は河間王開の子都郷侯翼を平原王としたが、安帝がこれを廃し国は除かれた。
論
- 呉の公子夷昧が「徳と度を備えた者の子孫が呉国を保つだろう」と評された故事を引き、章帝が長者として敦厚に事に従い、漢室を継いだその子孫たちが皆その苗裔にふさわしかったことを、古人の言の正しさとして評す。
贊
- 「章祚不已、本枝流祉。質惟伉孫、安亦慶子。河間多福、桓靈承祀。濟北無驕、皇恩寵饒。平原抱痼、三王薨朝。振振子孫、或秀或苖」(章帝の祚は絶えることなく、本枝に福が流れた。質帝は伉の孫、安帝もまた慶の子である。河間は多福で桓帝・靈帝がその祀を継いだ。済北は驕ることなく皇恩の寵を篤く受けた。平原は持病を抱え、三王(平春・広宗・城陽)は朝廷で薨じた。子孫は仁厚に育ち、あるいは秀で、あるいは早世した、の意)。