後漢書卷八十三 周黄徐姜申屠列傳第四十三 姜肱
姜肱
- 姜肱、字は伯淮。彭城郡広戚の人。名族の出。二人の弟仲海・季江とともに孝行と友愛で知られ、常に同じ床に寝起きし、結婚後も跡継ぎのための同室以外は別寝しなかった。五経に博通し天文にも通じ、遠方から三千余人が学びに集まったが、公府の招きにも弟たちともども応じなかった。
- 季江と夜道で盗賊に遭った際、兄弟互いに「自分を殺してくれ」と争ったため、盗賊は感じ入って両者を釈放し、衣服のみを奪って財貨は返した。のち盗賊は精舎まで訪ねて謝罪し、肱は罪を問わず酒食を与えて帰した。
- 徐穉とともに招きに応じず、桓帝が画工を遣わし肖像を描かせようとした際も、眩暈の病と称して被で顔を覆い会わせなかった。宦官曹節らが陳蕃・竇武誅殺後、賢徳を借りて人望を得ようと肱を太守に推挙した際、肱は「政が閹竪(宦官)の手にある今、何をか為さん」と隠遁し、玄纁の招聘も断り、詔書が門前に至っても病と偽って青州に身を隠し卜占で生計を立てた。年七十七、熹平二年に家で没し、弟子の劉操らが石碑を刻んでその徳を頌えた。