霍諝
- 霍諝、字は叔智、魏郡鄴の人。若くして経学に明るかった。舅の宋光が大将軍梁商への文書偽造の疑いで洛陽の獄に繋がれ拷問を受けた際、十五歳の霍諝は梁商に上申文を送った。「春秋の義は情を原ねて過を定め、事を赦して意を誅する、許止は父を弑した罪に問われず、趙盾は賊を見逃した罪で書かれた」と『公羊伝』の故事を引き、「人心不同、面のごとし」との子産の言も引いて、舅の性格(衣冠の子孫として平穏に出世を望むのみで、詔書を偽造する動機がない)を弁護し、東海の孝婦の冤罪が旱魃を招いた故事も引いて、無実の疑いを晴らすよう訴えた。梁商はその才志を認め、宋光の罪を晴らす上奏を行った。
- これにより名を知られ、孝廉に挙げられ金城太守に至り、明達篤厚な政で羌胡にも敬服された。母の喪により辞し、北海相・尚書僕射を歴任。大将軍梁冀専権の折、尚書令尹勲と共にその不正を奏上し、陛見の際にも罪を陳べ、梁冀誅殺後、桓帝はその忠節を嘉して鄴都亭侯に封じたが固辞した。河南尹、司隷校尉、少府、廷尉を歴任し官のまま没した。子の霍雋は安定太守となった。