後漢書卷七十四 鄧張徐張胡列傳第三十四 徐防
徐防
- 徐防、字は謁卿、沛国銍の人。祖父の徐宣は易を講じて王莽に仕え、父の徐憲もその学を継ぎ、徐防も父祖の学を修めた。永平中、孝廉に挙げられ郎となり、その威儀と応対を顕宗に評価され尚書郎に抜擢、二帝に仕えて過失なく、和帝の代に司隷校尉・魏郡太守・少府・大司農を歴任し、永元十四年、司空となった。
- 五経の解釈が乱れていることを憂い、上疏して「孔子の述而不作の教えに反し、章句によらず妄りに穿鑿する風潮が博士弟子の試験にまで及んでいる」と指摘し、博士や甲乙科の試験は師の家の章句に従うべきこと、五十の難問を課し解釈の優れた者を上第とすべきことを提言し、詔により容れられた。永元十六年、司徒。延平元年、太尉となり太傅張禹と共に録尚書事に参与、安帝擁立の策により龍郷侯に封ぜられたが、その年、災異・賊乱を理由に策免された(三公が災異により策免された最初の例)。子の徐衡は爵を弟の徐崇に譲ろうとしたが数年後にやむなく継いだ。