後漢書卷七十二 光武十王列傳第三十二 阜陵質王延

阜陵質王延

  • 阜陵質王延、建武十五年に淮陽公、十七年に王。驕奢で下に厳しい性格であった。永平中、姫の兄謝弇や姉婿の駙馬都尉韓光と共に図讖を作り祭祀祝詛したとの告発を受け、有司は誅を奏請したが、顕宗は罪が楚王英より軽いとして阜陵王に減封の上、二県のみとした。建初中、再び謀反の告発を受け廷尉に召還されたが、粛宗は「先帝が親族の情から大法を枉げて誅さなかったのは先帝の過ちであった」としつつも、延の子魴の密告により謀の破綻が露見したことを憐れみ、爵位を阜陵侯・一県に貶めるに留めた。
  • 章和元年、帝が九江巡幸の際、延と妻子の衰えた姿に感じ入り、阜陵王に復し四県を加増、都を壽春に移させ厚く賜物を与えた。五十一年在位して薨去。以後、殤王冲・頃王魴・懐王恢・節王代・恭王便親・孝王統らが継ぎ、建安中、子なく国が除かれた。