後漢書卷六十四 梁統列傳第二十四 梁商

謙虚を貫いた大将軍

  • 竦の孫・雍の子。字は伯夏。陽嘉元年、女が皇后、妹が貴人となり、順帝の下で大将軍に。固辞するも太常桓焉の使いを経て就任、謙虚を旨として賢者(巨覧・陳亀・李固・周挙ら)を登用し「良輔」と称された。飢饉のたびに私財で穀を賑給し、権勢を笠に法を犯すことはなかった。
  • 性格が寛容すぎ、宦官(曹節ら)に対する警戒を怠り、子の冀・不疑を宦官と交わらせたことが後の禍根となった。永和4年、中常侍張逵らが商・曹騰・孟賁を誣告する事件が起きたが、順帝は商への信頼から真相を見抜き逵らを誅殺。商は連座者の拡大を憂い「功は元帥にあり、罪は首悪に止まる」と寛大な処罰を上疏し容れられた。
  • 永和6年、病篤くなった際「不徳の身で厚福を受けた、死後の厚葬は無益」と薄葬を子らに遺言したが、順帝はこれを聞かず厚く葬った。忠侯と諡され、子の冀が嗣いだ。