後漢書卷六十四 梁統列傳第二十四 梁統
厳刑を説いた河西の名族
- 梁統、字は仲寧。安定烏氏の人。晋の大夫梁益耳の後裔。更始2年、中郎将として涼州安集、酒泉太守。更始滅亡後、竇融らと共に河西で挙兵、指導者に推されるも「老母あり徳薄し」と辞退し竇融を推戴、自らは武威太守として厳猛な政治を敷いた。
- 建武5年、竇融の使者に随行し光武帝に帰順、宣徳将軍。建武8年、隗囂討伐に従軍し成義侯。建武12年、京師で高山侯に改封、太中大夫。
- 朝廷で「元帝・哀帝以来の刑罰軽減(元帝123事、哀帝81事の減刑)が民の犯罪を助長している」と論じ、五帝三王の「大辟刻肌の法」を引きつつ、高祖から宣帝までの厳格な律令に戻すべきと長文の上疏を行った。三公・廷尉は「隆刑峻法は明王の急務にあらず」として却下したが、統は重ねて孔光・師丹らの議を採るよう求めるも聞き入れられなかった。九江太守として治績を挙げ、封国の陵郷侯のまま没した。