後漢書卷六十二 樊陰列傳第二十二 陰識
光烈皇后の兄
- 陰識、字は次伯。南陽新野の人。光烈皇后(陰麗華)の異母兄。管仲の後裔。劉伯升挙兵に千余人の宗族賓客を率いて参加、更始政権下で陰徳侯・大将軍事代行。建武元年、光武帝が陰貴人を新野に迎える際に識も召され騎都尉・陰郷侯。功績があっても「天下未定の時に外戚を優遇すべきでない」と辞退した謙譲の逸話が伝わる。
- 侍中、母の喪による帰郷を経て建武15年、原鹿侯に定封。顕宗(明帝)の皇太子時代には執金吾として輔導、禁兵を委ねられながらも国事について賓客に語ることはなかった。用いた掾史は虞延・傅寛・薛愔ら多くが公卿に至る人材ばかりであった。執金吾・特進を経て永平2年に没し貞侯と諡された。