後漢書卷六十二 樊陰列傳第二十二 樊凖

経学振興を説いた官僚

  • 樊凖、字は幼陵。宏の族曾孫。父の瑞は黄老を好み清静を旨とした。凖は父の遺産数百万を兄の子に譲り、和帝の南陽巡幸時に郡功曹として見出され尚書郎に。鄧太后臨朝の下、儒学衰退を憂え、光武帝・明帝の学問奨励の故事(趙孝・承宮ら名儒の招聘、期門羽林の兵士まで孝経に通じた盛時)を引き、経学振興と地方官吏の律令学習を求める上疏を行い、太后は深く納得した。
  • 御史中丞として、永平初の水旱災異に伴う飢饉対策で「大侵の礼(凶作時は官職を製さず祭祀を控える)」を説き、宮中の倹約と地方への賑給(征和元年の武帝の故事に倣い、富民は旧地に留め貧民のみ移住させる方策)を上疏、太后はこれに従い公田を貧民に分与した。
  • 冀州・兗州の流民救済に光禄大夫として派遣され、鉅鹿太守として飢餓復興・農桑奨励に努め穀価を数十倍下げる実績を挙げ、河内太守としても羌族討伐と塢壁修理で威名を挙げた。尚書令、元初3年光禄勲を歴任し、元初5年官で没した。