家業と謙譲の道
- 樊宏、字は靡卿。南陽湖陽の人。世祖(光武帝)の舅。周の仲山甫の後裔で樊に封じられ姓とした。父の重は農業・殖産に長け、三世同財の家風を保ち、田土3百余頃を開き、器物用の梓・漆をあらかじめ植えるなど先見の明で富を築いた。外孫の何氏兄弟の財産争いを田2頃で解決し、貸付証文を焼き捨てて債務者を驚かせるなど、徳による治めを実践した。
- 王莽末、劉伯升挙兵の際、族兄・樊賜の縁で妻子が湖陽に抑留されるも、地元の吏民が樊氏の徳を惜しみ処刑を控えたため難を逃れた。赤眉軍の侵攻時も牛酒米穀を贈り懐柔し攻撃を免れた。
- 光武帝即位後、光禄大夫・特進、建武5年長羅侯、建武18年寿張侯に定封。謙虚で富貴の危うさを常に子に戒め、朝会には早く到着し慎み深く控えた。病篤くなった際、光武帝に「小さな郷亭に封を戻したい」と願い出るも許されず、建武27年に没した際は薄葬を遺言(棺を一つのみとし夫人と同墳異槨とする)、光武帝はこれを称え百官に示し厚く弔った。子の儵が嗣ぎ、樊氏一族は5国の侯に封じられた。
史論(樊宏)
- 論じて言う。楚の頃襄王が陽陵君に「君子の富とは何か」と問うた故事(人に貸しても徳と思わず、報いを求めない)を引き、樊重の証文焼却の逸話はまさにこれに近いと評した。