後漢書卷六十一 郭杜孔張廉王蘇羊賈陸列傳第二十一 陸康
節を守った廬江太守
- 陸康、字は季寧。呉郡呉の人。高城令として辺境の民政に功。武陵・桂陽・楽安太守を歴任。霊帝の銅人鋳造のための田税徴収に対し「什一の税こそ万世の法、哀公の増税を孔子が非とした故事」を引いて諫めたが、宦官の讒言で檻車に召還され、廷尉に下されるも劉岱の弁護で免官に留まった。
- 廬江太守として黄穰の乱を鎮圧。献帝期、袁術の兵糧要求を拒み、孫策の攻撃を2年間籠城で耐えたが、城陥落の月余後に病没(70歳)。宗族百余人のうち半数近くが飢餓で死んだという。子の儁は郎中、少子の績(陸績)は呉で鬱林太守として博学善政で知られた。
史論(総括)
- 賛に曰く。郭伋は朔方を治め童子にまで信を立てた。杜詩は南楚を守り民に歌われた。廉範は疑兵で単騎を馳せ、張堪は轅の毀れた車で去った。王堂は良臣(陳蕃・応嗣)を用いた。蘇章・蘇不韋は剛烈、羊続・賈琮は廉能、陸康(季寧)は袁術の兵を拒み城と共に殞れた、と。