後漢書卷五十四 馬援列傳第十四 馬廖
節倹を勧めた外戚
- 馬廖、字は敬平。父の任により郎となり、明德皇后(援の娘)の立后後、羽林左監・虎賁中郎将。顕宗崩御に際し遺詔で門禁を司り、趙熹に代わり衛尉となった。
- 皇太后の質素な生活を称え、業を全うするよう「長楽宮に上疏」した。元帝の服官廃止、成帝の浣衣、哀帝の楽府廃止の故事、呉王・楚王の逸話(「城中好高髻、四方高一尺」の諺)を引き、上が範を示せば下が従う道理を説き、皇太后の質素をさらに推し進めるよう勧めた。
- 建初4年、順陽侯に封ぜられたが特進に留まり賞賜を辞退し続けた。子の豫は太后崩御後に馬氏が勢いを失うと不満を上書し、防・光の奢侈も相俟って建初8年に免官・封国送還となった。永元4年に没し哀侯と諡された。子の遵は程郷侯を継いだが無子で国除、元初3年に鄧太后が廖の孫の度を潁陽侯に封じた。