後漢書卷五十三 竇融列傳第十三 竇章

学問と忠誠

  • 竇章、字は伯向。馬融・崔瑗と親交し互いに推薦し合った。永初中、羌の侵入を避け外黄に隠棲し貧窮の中でも学問を怠らなかった。太僕鄧康の推薦で東観校書郎となる。
  • 順帝初、娘が才貌により掖庭に選ばれ梁皇后と並ぶ貴人となり、章も羽林郎将・屯騎都尉に。梁氏・竇氏が共に権勢を争う中、章は誠実に対応し禍を免れた。娘の没後も帝の厚遇は変わらず、永和5年少府、漢安2年大鴻臚。建康元年、梁后の称制と共に自ら官を辞し家で没した。子の唐は虎賁中郎将にまで至った。

史論(総括)

  • 賛に曰く。安豐侯竇融は英才と称され、河西の図籍を奉じて忠を尽くした。竇固は辺境を明らめ西域を開いた。竇憲は漠北を空にし、燕然に功を刻んだが、その権勢はついに鼎の足が折れるように崩れた。