総説――視之不明(火の変異)
- 五行伝に曰く、法律を棄て、功臣を退け、太子を殺し、妾を妻とすれば、火はその「炎上」の性を失って災いとなる。また君主の視ることが明らかでなければ「不悊」と呼ばれ、その咎は舒(緩み)、その罰は常燠(異常な暖かさ)、その極は疾となり、草妖・蠃虫の孽・羊禍・赤眚赤祥が現れる。これらは水気が火気を沴す現象とされる。
火災の記録
- 建武中、漁陽太守彭寵に召還の書が至った翌日、潞県に火災が起こり城中から城外へ延焼し千余家を焼き人を殺した。京房『易伝』に「上が倹ならず下が節せねば火が頻発し宮室を焼く」とある。当時彭寵は幽州牧朱浮と不和で、浮に讒言されるのを疑って狐疑し、妻の反対を押し切って徴召に応ぜず遂に反乱を起こし朱浮を攻めたが誅滅された(建武六年洛陽市の火災、二十四年高廟北門の落雷火災、明帝永平元年桂陽の飛火、章帝建初元年北宮の火災で寿安殿・右掖門が焼けた記録、元和三年北宮朱雀西闕の落雷火災の記録がある)。
- 和帝永元八年十二月、南宮宣室殿が火災に遭った。当時和帝は北宮に幸し竇太后は南宮にあったが、翌年竇太后が崩じた。十三年、北宮盛饌門閤が火災に遭った。当時和帝は鄧貴人を寵し陰皇后は寵が衰え上を怨み帝も廃后の意があり、翌年陰后が呪詛の罪で廃され桐宮に遷され憂死し、鄧貴人が皇后に立てられた。十五年、漢中城固の南城門が火災に遭った。これは和帝の世が絶える象とされ、二年後和帝が崩じ、殤帝・平原王もともに早世し和帝の世は絶えた。
- 安帝永初二年四月、漢陽・河陽で失火し三千五百七十人が焼死した。かつて和帝が崩じた際、皇子は勝と隆の二人があり長は勝であったが鄧皇后は幼い殤帝を立てて自ら養育しようとし、延平元年に殤帝が崩じると勝には持病があり群臣は勝の擁立を望んだが太后は前に勝を立てなかった経緯から清河王の子(安帝)を改めて立てた。司空周章らはこれに不服で鄧氏誅滅・太后と安帝の廃立・勝の擁立を謀ったが、元年十一月に発覚し誅された。のち涼州で羌が反乱し寇害が甚だしく涼州諸郡は馮翊・扶風の界に治所を寄せ、太后崩後に鄧氏も誅された。四年三月、杜陵園が火災に遭った。
- 元初四年二月、武庫が火災に遭い(兵器百二十五種、価値千万以上が焼失したとの記録あり)、当時羌が反乱し寇害が甚だしく、天下の兵を発して防戦すること十余年に及び、民は兵役に苦しんだ。
- 延光元年八月、陽陵の寝殿が火災に遭った。災いが先陵に発したのは太子廃立の兆とされ、翌年讒言により皇太子が廃されて済陰王となり、二年後に安帝が崩じ、中黄門孫程ら十九人が宮中で兵を挙げ賊臣を誅して済陰王を立てた。四年秋七月、漁陽の城門楼が火災に遭った。
- 順帝永建三年七月、茂陵園の寝殿が火災に遭った。
- 陽嘉元年、恭陵の廡と東西の莫府が火災に遭った。太尉李固はこれを「奢僭の致すところ」とし、陵の造営が過度に飾られ、また宮室・台観の増築が計画されていたため火が莫府から起こり材木を焼いたとした。
- 永和元年十月、承福殿が火災に遭った。かつて阿母宋娥が山陽君に、皇后の父梁商が本国の侯に封ぜられ、さらに商の爵を加増し、商の長子梁冀も商の存命中に襄邑侯に、皇后の母も開封君に追号されるなど、いずれも礼を過ぎたものであった。
- 漢安元年三月、洛陽の劉漢ら百九十七家が火災に遭い(うち九十家は自活できず詔で銭穀を賜ったとの記録)、四年後に宮車が三度相次いで晏駕(崩御)し、建和元年にようやく君位が定まった。
- 桓帝建和二年五月、北宮掖庭の徳陽殿と左掖門が火災に遭った。かつて梁太后の兄梁冀が姦を挟み、正直な故太尉李固・杜喬を誣告して誅滅させたが、のち梁太后は崩じ梁氏は誅滅された。
- 延熹四年から九年にかけて、南宮嘉徳殿・武庫・原陵長寿門・丙署・恭北陵東闕・虎賁掖門・康陵園寝・中蔵府承禄署・南宮承善闥内・平陵園寝・南宮嘉徳署黄龍千秋万歳殿・安陵園寝・南宮長秋和歓殿・鉤盾掖庭朔平署・徳陽前殿西閤・黄門北寺など、宮中の各所で火災が相次いだ。かつて亳后が賎しい身から幸を得て后に立てられ、その母宣が長安君に封ぜられ兄弟が寵愛され無功の者が多く封ぜられ、また白馬令李雲が直諫の罪で死んだこともあり、火災が連続したとされる。八年十月の徳陽前殿西閤・黄門北寺の火災では人が殺され、当時連月の火災に加え夜に訛言で鼓を打ち民が驚くこともあり、陳蕃・劉智茂が上奏して「古来の火災はみな君が弱く臣が強い極陰の変であり、獄刑が惨く春に及んでも寒が続き木に氷が張り各州郡で霜が菽を殺す異変があった」と諫めたが上奏は省みられなかった。九年三月、京都で夜に火光が転行し民が驚き騒いだ。当時宦官が朝政を専らにし党錮の獄が起こり、後継のないまま陳蕃・竇武が曹節らに害され天下に紀綱が失われつつあった。
- 霊帝熹平四年五月、延陵園が火災に遭った。光和四年閏月、北宮東掖庭永巷署が火災に遭った(陳蕃はかつて「楚の女が悲しんで西宮に火災が起こったように、宮女を御しなければ怨みを買う」と諫めたという)。五年五月、徳陽前殿西北の入門内、永楽太后の宮署が火災に遭った。
- 中平二年二月、南宮雲台が火災に遭い、翌日楽城門が火災に遭って北闕道西に延焼し嘉徳・和歓殿を焼いた。雲台は周代の造営にかかる図書・術籍・珍玩・宝器の収蔵所であった。京房『易伝』に「君が道を思わざれば、その妖は宮を焼く火」とある。当時黄巾の乱が七州二十八郡で同時に起こり、朝廷は将を出して討伐したがまだ宛・広宗・曲陽を破れず、辺境の兵役で百姓は死傷し過半に及んだにもかかわらず霊帝は克己せず奢侈を極め、政は賄賂で成り、寵臣・鴻都の徒がみな封爵を受け、京都の人は「今年は諸侯の年」と語り合った。天が旧典を焼いて戒めたにもかかわらず、三年後に霊帝は急死し董卓の乱が続いて火が三日燃え続き京都は廃墟となった。劉昭注は魏の高堂隆の対策(魏明帝の崇華殿火災に際し、災異は徳を修めることで克服できると論じ、漢武帝の柏梁台火災の故事を引いて越の巫による厭勝は無効であったと述べたもの)を引き、参考として付す。
- 献帝初平元年八月、霸橋が火災に遭い、三年後に董卓が殺された(劉焉伝に、興平元年天火が城府・輜重を焼き民家・館邑にまで及んだとの記録がある)。
恒燠(異常な暖かさ)に関する付記
- 『漢書』は冬温をこの咎徴に対応させるが、中興以来も冬温はあったものの記録に載せられなかったという。『越絶書』の范蠡の言や『管子』の説が割注に引かれる。
草妖・羽虫の孽の記録
- 安帝元初三年、一つの蔕に共生する瓜が現れ、嘉瓜とされる一方、瓜が本から離れて外に延びる様は女子が外に嫁ぐ象、すなわち草妖とする説もあった。当時閻皇后が立てられたのち、閻后と外戚耿宝らが太子を讒言し済陰王に廃し、代わって外部から済北王の子(劉懿)を迎えて立てた。
- 桓帝延熹九年、洛陽城局の竹柏の葉が傷んだ。占いは「天子に凶あり」とした。
- 霊帝熹平三年、右校の別作場に二株の樗(オウチ)があり、うち一株が一夜で丈余に育ち、胡人の姿(頭目・鬢鬚・髪まで具える)を呈した。京房『易伝』に「王徳が衰え下位の者が起ころうとすると、木が人の形を生ずる」とある。劉昭注は、これがのちの董卓の乱・李傕郭汜の乱で胡兵が跋扈し鮮卑が畿内を蹂躙した禍と結びつくとする。
- 五年十月、宮殿後の槐の大樹が六七囲もの太さで根こそぎ倒れ根が上を向いた。槐は三公を象る木であり、霊帝が徳のない者を貴賎逆に登用したことの象徴かとされる。
- 中平元年夏、東郡・陳留・済陽・長垣・済陰・寃句・離狐の県境に、莖が瘤状に腫れ鳩雀・龍蛇・鳥獣の形を呈する草が生え、五色それぞれの形に毛羽・頭目・足翅まで具えた。これも草妖の類とされ、この年黄巾の乱が起こり、皇后の兄何進・異父兄朱苗がともに将軍となり、朱苗はのち済陽侯に封ぜられ、何進・朱苗が兵権を握って漢はここから衰微したとされる。
- 中平中、長安城西北の空洞のある樹の中に人面のような形が生じた(『魏志』に、建安二十五年正月曹操が洛陽で建始殿を建てるため竜樹を伐ると血が流れ、梨の根を移すと同じく血が流れ、曹操はこれを忌んでこの月病に伏し薨じたとの記録がある)。
- 献帝興平元年九月、桑の木が再び椹(実)を結び食用となった。飢饉のさなか、この実が多くの命を救ったとされる(劉昭は、建武年間に野に穀物が自生し麻・菽が豊作となった例も同種の草妖かと注する)。
五色の大鳥(羽虫の孽)の記録
- 安帝延光三年二月、五色の大鳥が済南台に、十月には新豊にも集まった。世は鳳凰と称したが、真の鳳凰は明主の代に現れるものであり、これは似て非なる羽虫の孽とされた。当時安帝は中常侍樊豊・江京・阿母王聖・外戚耿宝らの讒言を信じ、太尉楊震を免じ太子を済陰王に廃したことが「不悊」の異とされる。章帝末にも「鳳凰百四十九見る」と称されたが、直臣何敞はこれを羽孽が鳳に似て殿屋を飛び回るものと見抜いた。宣帝・明帝の代にも五色鳥が殿屋を群翔し、賈逵はこれを胡族の帰順の兆と論じた。
- 桓帝元嘉元年十一月、五色の大鳥が済陰已氏に現れ鳳凰と称されたが、当時梁冀が政を専らにし亳后が寵を得ており、これも羽孽の時とされる。
- 霊帝光和四年秋、五色の大鳥が新城に現れ衆鳥が従った。当時常侍・黄門が権を専らにしており、これも羽孽の時とされる。
- 中平三年八月、懐陵の上に万余の雀が悲鳴したのち相闘って首を断たれ樹枝に懸かった。六年に霊帝が崩じ大将軍何進が内寵・外嬖を糾弾しようとしたが太后が疑って決せず、進は宮中で殺され、その後爵禄を持つ尊厚の者が悉く粛清されたことが、雀の争闘の応験とされた。
赤眚赤祥の記録
- 桓帝建和三年秋七月、北地で肉のような赤い雨が降り、羊の肋に似て手のひらほどの大きさのものもあった。当時梁太后が摂政し兄梁冀が権を専らにして良臣の故太尉李固・杜喬を誣殺し天下が冤罪を憐れんだが、のち梁氏は誅滅された。