後漢書卷十四 禮儀志第四 禮儀上(合朔・上陵・立春・冠・五供・夕牲・耕蠶・高禖・祓禊・養老)

総論

  • 威儀(儀礼上の秩序)は君臣・六親の序列を保つためのものであり、上下の秩序が崩れれば大乱となり万民が災いを被る。そのため歴代の威儀の施行を記録して「礼儀志」とする。

朔旦・日食の救日礼

  • 毎月朔旦、太史がその月の暦を上奏し、有司・侍郎・尚書がこれを読み上げて政令として奉行する。朔の前後各二日、羊と酒を携えて社に至り日を祭る。
  • 日食が起きた際は、羊を割いて社を祀り「救日」の礼を行う。担当者は長冠・皂単衣・絳の襟袖・緑の中衣・絳の袴褶を着けて旧例どおり儀礼を行う。

立春の礼

  • 立春の日、夜漏が尽きる五刻前から、京師の百官は青衣を、郡国県道の下級官吏に至るまで青幘を着け、青旛を立て、土牛と耕人の像を門外に置いて万民に春の兆しを示す。立夏まで続けるが、武官はこの儀礼を行わない。
  • 立春の日には「寛大の書」を下し、農耕を始める時期を敬い、罪の裁定を慎み、麦秋まで死罪以外の裁判・処刑を控え、貪残の官を退け柔良の官を進めるよう命じる。

正月上丁の南郊・五供・上陵

  • 正月上丁、南郊で天を祀り、次いで北郊・明堂・高廟・世祖廟を巡る(これを「五供」という)。
  • 五供のあと上陵の礼を行う(西都では上陵の儀はなく、東都に始まる)。百官・四姓の親戚・婦女・公主・諸王大夫・外国からの侍子・郡国の計吏が陵に集まり、大鴻臚が九賓(王侯・公卿・二千石・六百石以下・郎吏・匈奴の侍子など九等)を配して寝殿前に整列させる。皇帝は東廂から出て太常の先導で拝礼し、公卿群臣が神座を拝し、太官が食を供え、太常が「文始」「五行」の舞楽を奏する。
  • 郡国からの上計吏が神座前に進み、その郡の穀価や民の苦しみを奏上する。孝子が親に事える誠を尽くす意である。
  • 蔡邕の逸話として、上陵の礼は明帝が孝心から創始したもので、群臣・郡国計吏が神座に向かって奏上するのは、先帝の霊がなお聞き知るようにとの配慮であると胡広に語ったことが伝えられる。
  • 最後に親陵(先帝の陵)を巡った際、計吏に帯佩を賜る。八月の酎(濃酒)による上陵の礼も同様に行う。

祭祀の斎戒日数

  • 天地の祭祀は七日、宗廟・山川は五日、小祀は三日の斎戒を行う。斎戒中に穢れがあれば解斎し、副の者が礼を代行する。祭祀前日に穢れや災変があれば、儀礼のとおり祓い清める。大喪の際は、天郊のみ紼(葬送の綱)を越えて斎戒するが、地祇以下は百日を経てから斎戒する。

元服(冠礼)

  • 正月の甲子または丙子の吉日に元服を加える。皇帝の冠礼は緇布冠・進賢冠・爵弁・武弁・通天冠の順に加え、いずれも高祖廟で拝謁する。
  • 王公以下は進賢冠を加えるのみである。

天郊の夕牲・進熟

  • 正月、天郊の前日夕方に牲を検分する(夕牲の礼)。公卿・京尹以下が壇の東に集まり、太祝が牲を牽いて検分し、太史が牲を庖に牽いて毛血を取り、天神・太祖の座前に供える。
  • 昼漏・夜漏の刻限に沿って牲を納め、進熟(調理した供物を進める)・献酒・送神の儀を行い、燎(かがり火)で柴を焼いて天子が再拝する。明堂・五郊・宗廟・太社稷・六宗の夕牲もそれぞれ定刻に行う。

藉田(耕作の礼)

  • 正月、耕作を始める礼を行う。天子が耒耜を執り三公九卿を率いて自ら耕す(帝籍の礼)。先農を祀って享る。天子・三公・九卿・諸侯・百官が順に耕作の位につく。
  • 鄭玄注によれば、天子は三推、公は五推、卿・諸侯は九推し、庶人が終わりまで千畝を耕す。盧植注では天子は一発九推とする。
  • 力田(力仕事の農夫)が種をまき終えると、有司が事終わりを告げる。地方でも郡国の守相が民に耕作を勧める儀礼を行い、行幸の際には鍾を鳴らし楽を奏するが、災異や祈雨・止雨の際は鳴鍾・作楽を行わない。

高禖(仲春の求子の祭祀)

  • 仲春の月、高禖の祠を城南に立て特牲で祀る。玄鳥(燕)が至る日、天子自ら后妃・九嬪を率いて赴き、弓韣(弓袋)と弓矢を授ける。これは商の始祖契が高禖により生まれたという故事(簡狄が玄鳥の卵を呑んで契を生んだ)に基づく。

養老の礼(三老五更)

  • 明帝永平二年三月、初めて群臣を率いて辟雍で三老・五更を養う礼を行った。三老・五更にはそれぞれ徳行と年齢の高い元三公級の人物一人ずつを充てる。
  • 当日、まず皇帝が辟雍の礼殿に至り、使者を遣わして安車で三老・五更を迎える。天子は門屏で出迎え、三老は賔階から昇り、天子自ら牲を割いて醤を執り饋り、爵を執って酳(口すすぎの酒)を勧める。五更にも同様の礼を行う。
  • 三老が天子に答拝するかどうかについては議論があり、城門校尉董鈞は「養老は父に事える道を教えるものであり、答拝すれば天下に子への答拝を強いることになる」と論じ、詔はこれに従った。翌日、三老・五更は闕に詣でて謝恩する。
  • あわせて大射の礼を行い、郡県道では学校で郷飲酒の礼を行い、聖師の周公・孔子を犬を牲として祀る。

皇后親蚕(蚕祀の礼)

  • この月(三月)、皇后が公卿諸侯の夫人を率いて養蚕の儀礼を行う。鸞輅に乗り公卿五営校尉らの妻がそれぞれの官車に従う盛大な行列で桑に赴き、桑を摘み繭館で三盆手(三度盆に手を入れる儀)を行う。
  • 先蚕(養蚕の神、菀窳婦人・寓氏公主の二神)を少牢で祀る。得られた糸・絮は織室で祭服(冕服)を織るのに用いられる。

上巳の祓禊

  • 三月上巳、官民ともに東流水のほとりで身を清め、宿垢や疾病を祓い除く(禊という)。陽気が広く行き渡り万物が現れ始める時期に、これを清める意味を持つ。
  • 由来については、周礼の女巫の職掌に基づくとする説(風俗通)、論語の「暮春に沂に浴し舞雩に風す」に基づくとする説(蔡邕)、後漢の郭虞が三月上巳に二人の娘を失ったことに由来するという俗説(劉昭はこれを虚誕と評す)など、諸説が併記される。