後漢書卷十三 律歴志第三 律歴下(暦法)
暦の意義(総論)
- 聖人が暦を作ったのは、天体(璇璣・三光)の運行や昼夜の長短、北斗の柄の向き、青龍(歳星)の位置などを観測し、その規則性を数理として整えたことに始まる。天は一昼夜でひと回りするが、星は天に従って西へ、日は天に逆らって東へ動く。日の運行は天度と暦日の両面から捉えられ、二十八宿を一周し、甲子から六十日で一巡する。
- 日と月の速度差から、合朔(新月)・弦(半月)・望(満月)・晦(月末)が生じる。日の運行は冬至・夏至を境に北陸(冬)・西陸(春)・南陸(夏)・東陸(秋)と変化し、影の長短によって二至二分が定まる。
- 「歳」「章」「蔀」「紀」「元」という単位が定義される。歳首(朔旦冬至が重なる年)が一巡すると「章」、章が一巡し朔旦冬至が甲子に戻ると「蔀」、蔀が六十を経ると「紀」、歳と朔が再び揃うと「元」と呼ぶ。これらの単位により、暦の変化を体系化して把握する。
- 度量の基礎として、圭表(日影を測る道具)で影の長さを測り、漏刻(水時計)で時刻を測る。日には「光道」、月には「九行」があり、その交差から日食・月食(虧薄)が生じる。金星・水星は太陽に先立ったり遅れたりして留・逆行を見せ、五星それぞれに周期と度数がある。
- こうした天文の理を体得した聖人として、伏羲・重黎・羲和・湯武の名が挙げられ、逆に暦を乱した夏の羲和や殷紂の例が対比される。暦は「帝王の壮事」であり、月令に基づいて政治・祭祀の基準とされる。
- 律の首は黄鍾、暦の始まりは冬至で、月は子(十一月)から建つ。前漢高祖の受命から四十五年、上元甲子夜半朔旦冬至を起点として漢の暦(後の四分暦)が立てられた。
章・蔀・紀・元の算出原理
- 圭表で日影を測ると、四年で三百六十五と四分の一日(歳の日数)を得る。
- 日月の運行を同時に起点から観測すると、日は十九周、月は二百五十四周して再び合うことから、一歳の月数・閏月の置き方(十九年七閏、これを「章」と呼ぶ)が導かれる。
- 章が四つ集まって「蔀」(七十六年)、蔀が二十集まって「紀」(千五百二十年)、紀が三つで「元」(四千五百六十年)となる。
- 元の由来について、『楽叶図徴』は「天元は甲子朔旦冬至、日月は牽牛の初めより起こる」とし、王者の興亡の周期を四千五百六十年(元)で捉えるとする。宋均の注では、元は五行相代の一巡の大数であり、韓子(韓非子)にも「四千五百六十歳を一元とし、元中に厄あり、聖人は九歳の蓄えを備える」とあるという。
諸定数
- 紀法:千五百二十/紀月:一万八千八百
- 蔀法:七十六(月令章句に「七十六歳を蔀の首とする」)/蔀月:九百四十
- 章法:十九/章月:二百三十五(月令章句に「十九歳七閏を章とする」)
- 周天:千四百六十一/日法:四/蔀日:二万七千七百五十九
- 沒数:二十一(章閏に対応)/通法:四百八十七/沒法:七(章閏に対応)
- 日餘:百六十八/中法:四十二/大周:三十四万三千三百三十五/月周:千一十六
- 月食の周期:二十三食で既(皆既)に復し、月食は百三十五率に対し五百二十三分の二十で一食、一歳あたり五百十三分の五十が再食となる。
- 元会:四万一千四十/蔀会:三千五十三/歳数:五百十三/食数:千八十一/月数:百二十五/食法:二十二
蔀に入る年・年干支を求める術
- 上元からの積年を元法で割り、余りを紀法で割って紀を求め、さらに蔀法で割って蔀の名(甲子蔀など)と入蔀の年数を得る。
- 月食が入る蔀会の年を求める式も別に示される(元会・蔀会を用いた計算)。
天紀・地紀・人紀の蔀首干支表(二十蔀)
| 蔀番号 | 天紀嵗名 | 地紀嵗名 | 人紀嵗名 |
|---|---|---|---|
| 一 | 甲子 | 庚辰 | 庚子 |
| 二 | 癸卯 | 丙申 | 丙辰 |
| 三 | 壬午 | 壬子 | 壬申 |
| 四 | 辛酉 | 戊辰 | 戊子 |
| 五 | 庚子 | 甲申 | 甲辰 |
| 六 | 己卯 | 庚子 | 庚申 |
| 七 | 戊午 | 丙辰 | 丙子 |
| 八 | 丁酉 | 壬申 | 壬辰 |
| 九 | 丙子 | 戊子 | 戊申 |
| 十 | 乙卯 | 甲辰 | 甲子 |
| 十一 | 甲午 | 庚申 | 庚辰 |
| 十二 | 癸酉 | 丙子 | 丙申 |
| 十三 | 壬子 | 壬辰 | 壬午 |
| 十四 | 辛卯 | 戊申 | 戊辰 |
| 十五 | 庚午 | 甲子 | 甲申 |
| 十六 | 乙酉 | 庚辰 | 庚子 |
| 十七 | 戊子 | 丙申 | 丙辰 |
| 十八 | 丁卯 | 壬子 | 壬申 |
| 十九 | 丙午 | 戊辰 | 戊子 |
| 二十 | 乙酉 | 甲申 | 甲辰 |
(蔀の名は「庚申一」「丙子二」……のように、天紀嵗名に対応する蔀首の干支を第一列に付す形で原文に記される。)
推算法(術)の一覧
以下、いずれも「入蔀の年・月・日」を起点に、乗除の手順で目的の値を求める算術手順として原文に列挙されている。数値・係数は原文のまま残す。
- 推天正術:入蔀年から積月・閏余を求める(章月・章法を用いる)。
- 推天正朔日術:積月から蔀日・蔀月を用いて天正十一月朔日の大余・小余(干支と余り)を求める。
- 推二十四気術:入蔀年から中法・月余を用いて前年冬至の日を求め、以後十五日・七分ずつ加えて次の節気を得る。
- 推閏月所在:閏余と章法・章閏数から閏月の位置を求める。中気の有無で進退を定める。
- 推弦望日:朔の大余・小余に一定数(大余七、小余三百五十九・四分三)を加えて上弦・望・下弦・次朔を求める。
- 推沒滅術:沒数・通法・沒法を用いて「沒日」(暦の余りが尽きる日)を求める。
- 推合朔所在度:積月に日を乗じ大周で除して、日月が合朔する星度(斗二十一度余りを起点)を求める。
- 推日・月所在度:積日から日周・月周を用いて夜半の日・月の所在宿度を求める。
- 推日明・昬所入度分術:夜漏の数から明け方・夕方の日月の位置を求める。
- 推弦望日・月所入星度術:合朔度に一定の度分を加えて上弦・望・下弦の日月の宿度を求める。
- 推月食術:入蔀会年数から食数・歳数を用いて積食・入章月・入章閏を求め、食の起こる月を定める。
- 推月食朔日術・求食日:食の起こる月の朔日と食の当日(大余・小余)を求める。
- 推諸加時:小余に十二を乗じて時刻(子から起算)を求める。
- 推諸上水漏刻:小余から昼夜の漏刻(水時計の目盛り)を求める。
五星(木火土金水)の会合周期
各星について、周率・日率・合積月・月余・月法・大余・小余・虚分・入月日・日餘・日度法・積度・度餘の値が示される。
- 木星:周率四三二七、日率四七二五、合積月十三、月余四一六〇六、月法八二二一三、大余二三、小余八四七(虚分九三)、入月日十五、日餘一四六四七、日度法一七三〇八、積度三三、度餘一〇三一四。
- 火星:周率八七九、日率一八七六、合積月二十六、月余六六三四、月法一六七〇一、大余四七、小余七五四(虚分一八六)、入月日十一、日餘一八七二、日度法三五一六、積度四九、度餘一一四。
- 土星:周率九〇九六、日率九四一五、合積月十二、月余一三八六三七、月法一七二八二四、大余五四、小余三四八(虚分五九二)、入月日二三、日餘二一六三、日度法三六三八四、積度十二、度餘二九四五一。
- 金星:周率五八三〇、日率四六六一、合積月九、月余九八四〇五、月法一一〇七七〇、大余二五、小余七三一(虚分二〇九)、入月日二六、日餘二八一、日度法二三三二〇、積度二九二、度餘二八一。
- 水星:周率一一九〇八、日率一八八九、合積月一、月余二一七六六〇、月法二二六二五二、大余二九、小余四九九(虚分四四九)、入月日二七、日餘四四八〇五、日度法四七六三一、積度五七、度餘四四八〇五。
各星の見・伏・留・逆の運行日数と度数
- 木星:晨伏十六日余り(二度余り進む)で東方に見え、順行五十八日で九分度の速度から遅くなり、二十五日留まったのち八十四日逆行(十二度)、再び二十五日留まり、順行して夕方西方に伏す。一終(会合周期)は三百九十八日余りで三十二度余り進む。
- 火星:晨伏七十一日で東方に見え、順行・微遅・留・逆行(十七度)・再留・順行を経て夕方伏す。一終は七百七十九日余りで四百十四度余り進む。
- 土星:晨伏十九日で東方に見え、順行・留・逆行(六度)・再留・順行を経て伏す。一終は三百七十八日余りで十二度余り進む。
- 金星:晨伏五日で東方に逆行して見え、以後順行に転じて加速し、晨伏して東方に没する。別に夕方の見・伏の経過があり、三合で一終、五百八十四日余りで一周(三百六十度に相当)する。
- 水星:晨伏九日で東方に逆行して見え、留・順行・疾行を経て伏す。夕方も同様の経過があり、二合で一終、百十五日余りで一周する。
二十四気の日躔・去極・晷影・漏刻・昏旦中星
各節気について、日の所在(宿度)・黄道去極度・晷影の長さ・昼夜の漏刻・昏旦の中星が示される(分秒の細かい増減値は原文の割注のまま付す)。
| 節気 | 日所在 | 黄道去極 | 晷景 | 昼漏刻 | 夜漏刻 | 昬中星 | 旦中星 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 冬至 | 斗二十度 | 百十五度 | 丈三尺 | 四十五 | 五十五 | 奎六 | 亢二 |
| 小寒 | 女二度 | 百十三度強 | 丈二尺三寸 | 四十五 | 五十四 | 婁六半 | 氐七 |
| 大寒 | 虚五度 | 百十一度弱 | 丈一尺 | 四十六 | 五十三 | 胃十一半 | 心半 |
| 立春 | 危七度 | 百六度弱 | 九尺六寸 | 四十八 | 五十一 | 畢五 | 尾七半 |
| 雨水 | 室八度 | 百一度強 | 七尺九寸五分 | 五十 | 四十九 | 参六半 | 箕六 |
| 驚蟄 | 壁八度 | 九十五度強 | 六尺五寸 | 五十三 | 四十六 | 井十七 | 斗少 |
| 春分 | 奎十四度 | 八十九度強 | 五尺二寸五分 | 五十五 | 四十四 | 鬼四 | 斗十一 |
| 清明 | 胃一度 | 八十三度弱 | 四尺一寸五分 | 五十八 | 四十一 | 星四 | 斗二十一半 |
| 穀雨 | 昴二度 | 七十七度強 | 三尺二寸 | 六十 | 三十九 | 張十七 | 斗六半 |
| 立夏 | 畢八度 | 七十三度弱 | 二尺五寸二分 | 六十二 | 三十七 | 翼十七 | 女十 |
| 小満 | 参四度 | 六十九度弱 | 一尺九寸八分 | 六十三 | 三十六 | 角六 | 危 |
| 芒種 | 井十度 | 六十七度弱 | 一尺六寸八分 | 六十四 | 三十五 | 亢五 | 危十四 |
| 夏至 | 井二十五度 | 六十七度強 | 一尺五寸 | 六十五 | 三十五 | 氐十二 | 室十二 |
| 小暑 | 柳三度 | 六十七度強 | 一尺七寸 | 六十四 | 三十五 | 尾一 | 奎二 |
| 大暑 | 星四度 | 七十度 | 二尺 | 六十三 | 三十六 | 尾十五半 | 婁三 |
| 立秋 | 張十二度 | 七十三度半強 | 二尺五寸五分 | 六十二 | 三十七 | 箕九 | 胃九 |
| 処暑 | 翼九度 | 七十八度半強 | 三尺三寸三分 | 六十 | 三十九 | 斗十 | 畢三 |
| 白露 | 軫六度 | 八十四度強 | 四尺三寸五分 | 五十七 | 四十二 | 斗二十一 | 参五半 |
| 秋分 | 角四度 | 九十度半強 | 五尺五寸 | 五十五 | 四十四 | 牛五 | 井十六 |
| 寒露 | 亢八度 | 九十六度強 | 六尺八寸五分 | 五十二 | 四十七 | 女七 | 鬼三 |
| 霜降 | 氐十四度 | 百二度強 | 八尺四寸 | 五十 | 四十九 | 虚六 | 星三 |
| 立冬 | 房四度 | 百七度強 | 丈四寸二分 | 四十八 | 五十一 | 危八 | 張十五 |
| 小雪 | 箕一度 | 百十一度弱 | 丈一尺四寸 | 四十六 | 五十三 | 室二半 | 翼十五 |
| 大雪 | 斗六度 | 百十三度強 | 丈二尺五寸六分 | 四十五 | 五十四 | 壁半 | 軫十五 |
- 割注に、『易緯』が記す晷景の長短とその応(「当至不至」なら旱・水・疫病など)が各節気ごとに列挙されるが、劉昭の注記によれば参考として付されたもので、本志の本則ではない。
- また月令章句を引き、周天三百六十五度四分の一を十二次に分けて、各次に節気と分野(国)が配される(豕韋・降婁・大梁・実沈・鶉首・鶉火・鶉尾・寿星・大火・析木・星紀・玄枵の十二次と、衛・魯・趙・晋・秦・周・楚・鄭・宋・燕・越・斉の対応)。分野の詳細は郡国志に載せるとする。
赤道・黄道の宿度
- 赤道二十八宿度(周天三百六十五度四分一):斗二十六、牛八、女十二、虚十、危十六、室十六、壁十(北方九十八度四分一)/奎十六、婁十二、胃十四、昴十一、畢十六、觜二、参九(西方八十度)/井三十三、鬼四、柳十五、星七、張十八、翼十八、軫十七(南方百十二度)/角十二、亢九、氐十五、房五、心五、尾十八、箕十一(東方七十五度)。
- 黄道二十八宿度(三百六十五度四分一):斗二十四、牛七、女十一、虚十、危十六、室十八、壁十(北方九十六度四分一)/奎十七、婁十二、胃十五、昴十二、畢十六、觜三、参八(西方八十三度)/井三十、鬼四、柳十四、星七、張十七、翼十九、軫十八(南方百九度)/角十三、亢十、氐十六、房五、心五、尾十八、箕十(東方七十七度)。
- 黄道は赤道に対し夏至去極六十七度強、冬至去極百十五度強となり、春分・秋分でその中間を取る。張衡の渾儀の説を引き、赤道・黄道の度数を竹篾を用いた儀器でどのように実測するかが割注に詳述される。
沿革論(論曰)
- 太極から両儀が分かれ、伏羲・重黎の代を経て黄帝に至り、暦の記録が整えられた。以後、黄帝暦は辛卯を元とし、顓頊は乙卯、虞は戊午、夏は丙寅、殷は甲寅、周は丁巳、魯は庚子を元とするなど、各王朝で改暦が繰り返された。
- 漢は秦の乙卯暦を承けたが天と合わず、武帝の元封年間に太初暦(丁丑を元とする)が作られた。王莽期に劉歆が三統暦を作り、上元を五星会合の庚戌の歳とした。
- 章帝の元和年間、四分暦が疏(粗)になったため、術者に暦を課し校訂させ、朔を定め元を稽(かんが)え、後漢建国から三十五年目の庚辰の歳に朔を一日追positioned直して天に合わせ、これを四分暦の元とした。六百五元を加えて一紀とすると庚申に近くなるが、歳は必ずしも摂提(太歳)と一致しない。
- 暦の興廃は疏密によって決まるのであり、元の選び方自体に本質があるわけではない。
- 光和元年、議郎蔡邕・郎中劉洪が律暦志を補続した。蔡邕は文章・清濁・鍾律に長じ、劉洪は算術・天文に長じており、両者の業績を集めて上下篇とし、続志として備えた。
蔡邕の上書(要約)
- 蔡邕が朔方に流刑となった際の上章。かつて宰府から典城の任に就き、叔父の衛尉張質の縁で尚書に召され郎中となり、東観に召されて著作に従事、議郎に列せられたことなど、これまでの恩顧の経緯を述べる。
- 讒言により罪を得て一家が辺地に徙されたが、死刑を免れたことへの感謝を述べる。
- かねてより、漢書の十志が王莽までで途絶え、後漢建国以降の紀伝はあっても続志がないことを憂い、師事した太傅胡広の教えをもとに二十余年温めてきた構想があったこと、著作郎となった際に議郎張華らと十志の分担撰述を建言し、自らは律暦を担当したことを述べる。
- 律暦は籌算を本とし天文を験とするため、旧注に基づき増損を加える必要があり、算術に精しい郎中劉洪と共に検討していたところ、罪を得て辺地に放たれたことを悔やむ。
- 匈奴・鮮卑の侵攻で身辺が危うくなったため、未完成のまま十志の構成(自ら刪定すべきもの一、接続すべきもの四、新たに著すべきもの三など)を先に上奏し、東観の諸奏を参照して補綴されるよう願う旨を述べる。
- 劉昭の注記として、この志の完成は蔡邕・劉洪の当初の構想と必ずしも同じではないため、異同があれば本志に随時注記する、とある。
贊
- 象は物に因って生じ、数は微細なものに本づく。律は前もって均(ととの)い、規準(凖)は後にたって調(ととの)う。日月の運行をつぶさに検討し、璇璣(天体観測儀)で総合的に会するのが暦の要諦である。