後漢演義第九十回 父の悪業を継ぎ曹丕が帝位を簒い、宗廟を継ぎ蜀漢が基を開く (濟父惡曹丕篡位 接宗祧蜀漢開基)
呂蒙の死と関羽の首
- 孫権は荊州奪取を祝う宴で呂蒙を称えるが、呂蒙は突如錯乱し関羽の霊に呪われたかのように悶死した。
- 関羽の首は曹操の元に送られ、丁重に葬られた。曹操自身も持病の頭風が悪化し、名医華佗を招くが、頭蓋を切開すべきとの進言に激怒して華佗を投獄・処刑してしまう。華佗の医術書も焼失した。
曹操の死と曹丕の即位
- 曹操は楊修を策謀の疑いで自殺させ、孫権からの勧進の書も「炉火の上に乗せる気か」と一蹴。それでも「周文王でよい」と暗に子への簒奪を促す。
- 妖術士左慈の不思議な逸話(鱸魚・蜀姜・変身)が語られ、「土鼠随金虎、奸雄一旦休」の予言通り、曹操は建安二十五年正月に六十六歳で没した。
- 子の曹丕が魏王を継承し、九品官人法を制定するなど権力基盤を固めた。
禅譲による漢の終焉
- 李伏・許芝らが讖緯を持ち出し、華歆らが献帝に譲位を迫った。献帝と曹皇后(曹丕の妹)は抵抗したが、璽綬は奪われ、献帝の娘二人も魏に嫁がされた。
- 曹丕は形式上辞退を重ねたのち受禅台で即位し、国号を魏、年号を黄初と改元。献帝は山陽公に格下げされた。
劉備の即位と蜀漢建国
- 蜀では献帝殺害の誤報が伝わり、諸葛亮ら群臣が劉備に即位を勧める。劉封は孟達を救援しなかった罪で自害を命じられた。
- 劉備は再三固辞したのち成都武担山で皇帝に即位し、章武と改元。諸葛亮を丞相、許靖を司徒とし、呉氏を皇后、劉禅を皇太子に立てた。
- 即位後、劉備は呉討伐を主張するが、これに異を唱える将がいた。
評語
- 司馬光は曹操の遺言が禅譲に触れなかった点を「大姦」の証と見たが、自ら周文王を自任した曹操が丕の簒奪を教えなかったはずはない。陳寿が劉備を「先主」と呼びながら正統を魏に与えたことも矛盾している。本回は魏と蜀それぞれの即位の描き方の違いに、著者の是非の判断を込めている。