後漢演義第八十九回 漢中を得て劉玄徳が王を称し、荊州を失い関雲長が義に殉ずる (得漢中劉玄德稱王 失荊州關雲長殉義)

定軍山の戦いと漢中平定

  • 黄忠は定軍山で夏侯淵を討ち取る大功を立てた。曹操自ら援軍に来るが、趙雲の奮戦(一身都是胆の逸話)もあり劣勢に立たされる。
  • 許都では耿紀・韋晃らの反乱が起きるが鎮圧された。曹操は「鶏肋」の号令から撤退の意を悟られ、漢中を放棄して長安へ退いた。
  • 劉備は漢中を得て、群臣の推戴により漢中王に即位。関羽・張飛・馬超・黄忠を四将軍に任じた。黄忠と同列になることを不満とした関羽も、費詩の説得で受け入れた。

関羽の樊城攻めと水攻め

  • 関羽は樊城を攻め、洪水を利用して于禁の七軍を降し、龐徳は屈せず斬られた。
  • 関羽は箭傷を華佗に骨を削って治療させ、談笑しながら耐えたという逸話が語られる。
  • 曹操は司馬懿・蒋済の献策により孫権と結び、背後から荊州を突かせることにした。

荊州の陥落と関羽の最期

  • 孫権は呂蒙の計で陸遜を後任に立てて関羽を油断させ、白衣の商人に扮した兵で江陵を急襲、糜芳・傅士仁を降した。
  • 樊城で徐晃に敗れた関羽は荊州失陥を知り撤退するが、麦城で孤立し、臨沮で捕らえられて子の関平とともに処刑された。

評語

  • 劉備は荊益を得て漢中を平定し蜀漢の全盛期を迎えたが、関羽を孤軍のまま北伐させ、後詰を怠ったのは劉備・諸葛亮の落ち度である。
  • 関羽の敗因は剛に過ぎたことにあるが、呂蒙が漢の後裔を裏切って漢賊に与したことも咎められるべきで、後世が魯粛を偲び呂蒙を憎む所以である。