後漢演義第八十七回 冀城を失い馬超が難を逃れ、許都の宮に迫り伏皇后が禍に遭う (失冀城馬超奔難 逼許宮伏后罹殃)

劉備の益州攻略

  • 劉備は偽って荊州帰還を装い、油断した楊懐・高沛を討ち取って白水関を奪取、涪城へ進んだ。
  • 宴席で龐統が劉備の驕りを諫めて口論になるも、翌日互いに謝罪して和解。
  • 劉璋方の諸将は次々と降伏し、劉備軍は益州各地を平定。張任は雁橋で捕らえられ、忠義を貫いて処刑された。雒城を包囲する中、龐統は流れ矢に当たって戦死した。

諸葛亮の入蜀と馬超の来降

  • 龐統の死を受け、諸葛亮・張飛・趙雲らが荊州から入蜀。張飛は厳顔を降し、益州各地を平定して雒城で合流。
  • 馬超は曹操に敗れて涼州に走ったのち冀城を奪うが、姜叙・楊阜・趙昂らの反攻に遭い妻子を殺され、漢中の張魯に身を寄せた。しかし冷遇され、劉璋救援の名目で入蜀を許されると、李恢の説得により劉備に投降した。
  • 馬超の来降により劉璋は戦意を失い、成都を開城して劉備に降伏。劉備は益州牧となり、諸将に論功行賞を行った。劉備はまた劉瑁の未亡人・呉氏(呉懿の妹)を娶った。

献帝への圧迫と伏皇后の悲劇

  • 法正の専横を諸葛亮は敢えて抑えず、代わりに蜀の法制を厳格に整えた。
  • 曹操は魏公に進み九錫を受けた。荀彧は諂いを戒めて曹操の不興を買い、空の食器を送られて服毒自殺した。
  • 曹操の娘たちが後宮に入り、伏皇后が父伏完に宛てた曹操糾弾の密書が発覚。曹操は華歆に命じて伏皇后を捕らえさせ、皇子二人ともども毒殺、伏氏一族も誅殺された。

評語

  • 馬超は勇に頼って謀に乏しく、父母・妻子を失う結果を招いた。姜叙の母や趙昂の妻の「勧忠」も、実は物事の一面しか見ていない婦人の見識に過ぎない。
  • 劉備の成都奪取はやむを得ぬ勢いとはいえ、劉瑁の妻を娶ったことは後世の批判を免れない。曹操の非道は皇后弑逆にまで至り、簒奪との差はほとんどない。