後漢演義第八十六回 馬兒を拒み許褚が忠を尽くし、虎のような主を迎え劉璋が計を誤る (拒馬兒許褚效忠 迎虎主劉璋失計)
潼関の戦いと曹操の危難
- 関西では馬騰・韓遂が不和となり、曹操は馬騰を衛尉として召し、子の馬超に部隊を継がせた。
- 曹操が漢中攻略のため夏侯淵らを派遣すると、馬超は父を人質に取られることを恐れ、韓遂や諸将と結んで十万の兵で潼関に迫った。
- 曹操は馬騰一家を投獄したうえで自ら出陣。渡河の際、馬超に急襲され、許褚に守られてようやく難を逃れた。渭南県令丁斐が牛馬を放って敵の目をそらしたことで九死に一生を得た。
反間の計と馬超の敗走
- 曹操は渭水沿いに奇策で陣地を築き、婁子伯の献策により砂に水を注いで凍らせ一夜で城を作った。
- 馬超・韓遂は夜襲を仕掛けるも伏兵に遭い失敗。士気が落ちた韓遂は和議を望み、曹操は賈詡の計で偽りの和睦交渉を演じ、書状を改竄して韓遂と馬超の間に疑心を植え付けた。
- 疑心を強めた馬超は韓遂を信じられなくなり、単独で攻めて大敗。馬騰一族はこの謀反の責を負わされ、二百人近くが誅殺された。
劉璋、劉備を益州に招く
- 益州刺史劉璋は張魯との抗争に苦しみ、別駕張松の進言で劉備を頼ることを決意。張松は法正を推挙し、劉備の器量を見極めさせた。
- 主簿黄権・従事王累らは劉備を招けば喧賓奪主になると諫めたが、劉璋は聞き入れず、法正に迎えを命じた。
- 荊州では龐統(鳳雛)が劉備の副軍師となっており、法正・龐統ともに益州奪取を進言。劉備は「同宗を欺けない」とためらいつつも承諾し、益州へ入った。
張松の露見と決裂の予兆
- 劉璋自ら涪城まで出迎え、両者は兄弟の礼をもって歓待し合い、劉備は張魯討伐に向かう。
- 張松は兄張粛の密告により謀が露見し、劉璋に処刑された。劉備はまだ楊懐・高沛を討つ前であった。
評語
- 馬超・韓遂はともに曹操の敵ではなかった。曹操は当初馬超を侮ったが、危地を脱した後は賈詡の計で離間策を用い、剛にして愚かな馬超・韓遂を手玉に取った。
- 劉璋は暗愚で、劉備を招かずとも長くは益州を保てなかったろうが、張松・法正が主君を裏切って栄達を求めたことは臣下の道に反する。張松の誅殺は当然であり、法正が難を免れたのは後世への戒めとすべきである。