後漢演義第八十五回 良縁を続け老夫が若い妻を娶り、遺書を残し壮年で短命を悲しむ (續嘉耦老夫得少妻 上遺箋壯年悲短命)
南郡攻防と四郡平定
- 周瑜は南郡で曹仁と対陣。甘寧が夷陵を攻略するが曹仁に包囲され、呂蒙の献策で周瑜自ら援軍に赴き解囲する。
- 孫権は合肥を攻めるが陥落させられず撤退。
- 劉備は諸葛亮の計により劉琦を荊州刺史に立て、関羽・張飛・趙雲に武陵・長沙・桂陽・零陵の四郡を攻略させる。
趙雲の卻婚
- 趙雲は桂陽太守趙範の降伏を受け入れる。趙範は寡婦となった義姉樊氏を趙雲に娶らせようとするが、趙雲は「同姓の兄嫂を娶るのは倫に背く」と固く拒絶する。
- 趙範は逃亡するが、劉備は趙雲の判断を称賛し、桂陽太守に任じる。
荊州経営と甘夫人の死
- 諸葛亮は軍師として三郡の統治・徴税を統括。黄忠・雷緒らも劉備陣営に加わる。
- 甘夫人は長坂での心労がもとで病没する(後の孫夫人再婚の伏線)。
江陵攻略と周瑜の負傷
- 周瑜は江陵で曹仁の誘敵策にかかり右脇に矢傷を負うが、力を振り絞って出陣し曹仁を威圧、曹仁はついに江陵を放棄して退く。
- 曹操は蔣幹を派遣し周瑜の帰順を図るが、周瑜は策を見抜いて丁重にあしらい失敗させる。
孫権と劉備の同盟強化・孫夫人との婚儀
- 魯粛が呉に帰還し、孫権に迎えられる。劉琦の病没を受け、劉備は荊州牧に任じられる。
- 孫権は妹(孫夫人)を劉備に嫁がせる。孫夫人は武芸を好み、婚礼の夜も武装した侍女に囲まれているという逸話が語られる。
- 劉備は荊州の借用を孫権に願い出て許されるが、周瑜は上書して劉備の勢力拡大を警戒し、劉備を呉に留め置くよう進言する。しかし魯粛の反対もあり、孫権は劉備の帰還を認める。
- 劉備は孫夫人を伴い荊州へ戻る。周瑜は劉備に対する警戒を孫権に伝える。
周瑜の死
- 周瑜は益州攻略を計画するが、劉備に道を阻まれ憤激のあまり吐血し病状が悪化する。
- 周瑜は遺書を口述し、魯粛を後任に推薦。「既生瑜、何生亮(瑜を生みながら、なぜ亮をも生んだのか)」と嘆きつつ36歳で没する。
- 孫権は深く哀惜し、魯粛を後任として起用。魯粛は呂蒙と語らい、呂蒙の学問の進歩に感嘆する(「呉下の阿蒙にあらず」の故事)。
- 荊州は劉備に貸与されることとなり、曹操はこれを知って動揺する。曹操は鄴に銅雀台を築き、人材登用を進める一方、自らの功績と忠誠を弁明する上表文を発する。
評語
- 孫権が妹を劉備に嫁がせたのは史実であり、『三国演義』が描くような周瑜の「美人計」ではないと指摘し、小説の脚色を批判する。
- 周瑜は壮年で才を発揮すべきときに、意気に任せて短命に終わったことを惜しむ。「三気周瑜」の逸話も根拠のない創作であるとする。