後漢演義第八十一回 孤城を守り審配が忠義を全うし、二人の夫に嫁ぎ甄氏が節を失う (守孤城審配全忠 嫁二夫甄氏失節)
郭援・高幹の敗北と鍾繇の忠義
- 袁譚は黎陽に出陣したが数日で曹操軍に攻められ、袁尚に救援を求めた。尚は自ら援軍を率いて戦うが連敗し籠城する。
- 尚は河東太守郭援と并州刺史高幹に平陽方面から曹操軍を牽制させ、関中の馬騰にも密使を送って呼応させようとした。
- 司隷校尉鍾繇は馬騰を説得し、その子馬超を派兵させて援軍とした。郭援は鍾繇の甥だったが、鍾繇は私情を排して迎撃を命じ、龐徳が郭援を討ち取った。高幹も敗れて退いた。
- 鍾繇は甥の首級を見て涙したが、「国賊となった以上、誅殺は当然」と述べ、曹操に報告した。
禰衡の死と荀攸・郭嘉の献策
- 曹操は黎陽を攻め落とし袁譚・袁尚を鄴城に追い、追撃の途上で禰衡が江夏の黄祖に殺されたと知る。
- 禰衡は荊州の劉表のもとから黄祖に送られ、才を認められていたが、酒宴で黄祖を侮辱し、怒りを買って斬られた(26歳)。
- 郭嘉は「袁氏兄弟は不和で長続きしない。今は南の荊州を攻め、兄弟が争うのを待って再び北進すべき」と献策し、曹操はこれを容れて軍を返し劉表討伐に向かう。
袁譚・袁尚の内訌と審配の書
- 西平に至った曹操のもとへ袁譚が辛毗を遣わし、袁尚との内紛で敗れたため投降を申し出た。
- 荀攸は「兄弟が争ういま乗じるべき」と進言し、曹操は援助を承諾。しかし袁譚・袁尚の争いは一進一退で、譚は劣勢に立たされる。
- 別駕の王修は譚に兄弟同士の争いをやめるよう諫めるが聞き入れられない。
- 鄴城を守る審配は譚に長文の書簡を送り、兄弟骨肉の争いをやめるよう説くが、譚の意志は変わらない。
鄴城攻防と審配の奮戦
- 曹操は再び鄴城に迫る。審配は巧みに守り、内応しようとした武将馮札とその手引きで侵入した曹操兵約三百を城内で殲滅した。
- 曹操は土山・地道など様々な策で攻めるが落とせず、やがて城の周囲に濠を掘らせ、夜間にひそかに深く掘り漳水を引き込んで城内を水攻めにした。審配は策にはまり食糧も尽きていく。
- 袁尚が援軍に駆けつけるが、曹操軍に前もって見破られ、内応も果たせず大敗し、輜重・印綬まで奪われる。
審配の最期
- 審配は「幽州の援軍が来るまで持ちこたえよ」と守備を続けるが、辛毗の勧降にも激怒して応じない。
- 甥の審栄が裏切って門を開き、曹操軍が城内に突入。審配は辛評一族を殺してから最後まで抗戦し、力尽きて捕らえられる。
- 曹操は審配の忠義を惜しみ助命を試みるが、審配は「城が滅べば私も滅ぶのみ」と拒み、北を向いて処刑された。曹操はその遺骸を丁重に葬った。
曹丕と甄氏
- 曹丕(18歳)は鄴城の袁氏邸に踏み込み、袁譚の母劉氏と、次男袁熙の妻甄氏に出会う。甄氏の美貌に心を奪われた曹丕は二人の保護を父に願い出る。
- 曹操はこれを許し、後に甄氏を曹丕の妻として娶らせることになる。孔融は曹操をからかう手紙を送るが、曹操はこれを譏笑と受け取り恨みを抱く。
冀州平定
- 曹操は冀州牧に任じられる。幽州刺史高幹は帰順し、袁尚は袁譚に攻められて幽州へ逃げるが、袁譚は龍湊に拠り自立の動きを見せたため、曹操は袁譚と絶縁して攻撃、南皮で袁譚を討ち取った。
- 郭図は斬られ、辛評は助命される。別駕王修は袁譚の遺体埋葬を願い出て許され、その忠義を曹操に評価される。
- 陳琳は捕らえられるが、次回に持ち越される。
評語
- 審配は袁紹に長子継承を勧めず、袁尚にも兄弟の道を諫めなかった点で袁氏滅亡の責を免れないが、孤城を死守し曹操に屈しなかった忠義は評価に値する。本回で審配の鄴城籠城を詳しく描いたのはその忠を埋もれさせないためである。
- 一方、甄氏が夫袁熙の生存中に曹丕に嫁いだ点は婦道に反すると断じ、曹丕の人妻略奪、曹操の子への強要とあわせて厳しく批判する。甄氏を貶めるのは、実質的に曹操・曹丕父子を貶めるためである。