後漢演義第七十九回 袁本初は檄文を馳せて持病を癒やし、孫伯符は矢傷を受け寿命を縮める (袁本初馳檄療風疾 孫伯符中箭促天年)

曹操、劉備を撃破

  • 郭嘉の勧めで曹操は袁紹の動きが鈍いうちに劉備を先に討つべきと判断し出兵。劉備は孫乾を袁紹へ遣り援軍を求める。
  • 袁紹は幼子の病を理由に出兵を渋り、田豊が好機を逃すと嘆くが袁紹は動かず。
  • 劉備・張飛は曹操の大軍に敗れて離散し、張飛は芒碭山へ、劉備は青州へ逃れる。

関羽の降伏と義

  • 下邳に籠る関羽は、甘・糜二夫人を守るため「漢に降るが曹には降らぬ」「劉備の所在が知れれば去る」との条件付きで張遼を通じ降伏。
  • 曹操は関羽を厚遇(偏将軍、頻繁な饗宴、呂布の赤兔馬の下賜)するが、関羽は劉備への義を忘れず、いずれ功を立てて去ると公言し、曹操もその義に感心する。

陳琳の檄文

  • 曹操が頭風で臥せっていたところ、袁紹配下の陳琳が起草した長大な檄文が届く。(檄文の趣旨:曹操の祖父・父の出自の卑しさを難じ、辺讓誅殺・楊彪冤罪・趙彦誅殺・梁孝王陵墓発掘などの悪行を列挙し、専横を極め漢室を脅かす奸賊であると弾劾、袁紹軍が四州を挙げて討伐に向かうことを宣言し、曹操の首に懸賞をかける内容)
  • 曹操はこれを読んで冷や汗を流すと同時に頭風が治り、「文はよいが武略が足りない」と評した。
  • 田豊は再度献策するが聞き入れられず投獄され、代わりに陳琳の檄文が発せられた。

白馬・延津の戦い

  • 沮授は顏良起用に反対するが容れられず。曹操は荀攸の献策で疑兵を用い、関羽が一騎討ちで顏良を討ち取り白馬の囲みを解く。
  • 袁紹軍の文醜も、劉備を伴い追撃するが、荀攸の誘敵策にかかり、関羽が再び文醜を討ち取る。
  • 袁紹は二将を失い激怒するが、劉備の弁で矛を収め、関羽を呼び戻す策に転じる。

関羽、劉備の元へ去る

  • 汝南の劉辟が挙兵し許都が脅かされたため曹操は撤兵。関羽は劉備からの手紙を受け取り、恩賞をすべて残したまま印綬を掛けて二夫人を伴い出立。
  • 曹操は「信義の人」として追跡させず見送った。関羽は孫乾と合流し古城で張飛と再会(張飛は当初疑い槍を向けるが、二夫人の説明で誤解が解ける)。関羽はさらに汝南の劉備を訪ねるが、劉備は曹仁に敗れ再び袁紹の元へ戻っていた。

孫策の最期の伏線

  • 孫策は江東を平定し曹操と縁組を結ぶが、内心は虚礼で応じるのみであった。呉郡太守許貢が曹操に内通する密書を送ったことが発覚し、許貢を絞殺する。
  • 狩りの最中、許貢の食客三人に襲われ顔面を負傷。医師は百日の安静を命じるが、孫策は数日で城楼に出てしまう。
  • 民衆が慕う道士于吉を、統制が乱れることを恐れて処刑しようとし、母の取りなしも聞かず、雨乞いに成功した于吉を斬殺。その後傷が悪化し、鏡に于吉の幻影を見て卒倒する。(詩:血気にはやる若者が身を滅ぼす戒めを詠む)

評語

  • 陳琳の檄文の巧みさに触れつつ、曹操が動じずこれを笑って受け流した器量を評価する。関羽が功を立てて速やかに去ったことと、曹操がそれを追わなかった信義を対比的に称える。
  • 孫策の若さゆえの血気と度量の狭さを惜しみ、于吉誅殺の是非よりも許貢の食客による暗殺こそが死因の本質であるとし、才よりも徳量において曹操を上に置く見解を示す。