後漢演義第72回 糜竺と陳登がともに帰順を勧め、李傕と郭汜が互いに兵を交える (糜竺陳登雙勸駕 李傕郭汜兩交兵)
曹操の兗州奪還戦
- 曹操は定陶を攻め、呂布配下の薛蘭・李封を鉅野で撃破、二将は戦死。呂布はさらに乗氏で敗れる。
- 陶謙病死・徐州が劉備に渡ったとの報に曹操は激怒し徐州侵攻を主張するが、荀彧が「根拠地の兗州を固めるべき」「劉備は民心を得て抵抗するだろう」と諫め、曹操は思いとどまり呂布との対決に専念した。
- 曹操は伏兵の計で呂布軍を撃破。呂布は敗走し、陳留太守張邈の弟張超は雍丘で自害、張邈も部下に殺され一族が滅んだ。曹操は兗州牧に復帰した。
劉備、徐州を継ぐ
- 陶謙は臨終に別駕糜竺へ「劉備でなければこの州は治まらない」と遺言し没した(63歳)。糜竺・陳登・孔融らが劉備に徐州を託そうと説得。劉備は当初辞退したが孔融の勧めで徐州を治めることを承諾。
- 呂布が身を寄せてきた際、劉備は徐州包囲を解いた恩義から歓待し小沛に住まわせた。宴席で呂布が酔って劉備を「弟」と呼ぶなど礼を失う場面もあった。
李傕・郭汜の内紛
- 献帝は元服し興平と改元。三公は頻繁に交代し、実権は李傕・郭汜らが握っていた。
- 李傕は馬騰・韓遂を招くが、馬騰が賄賂を拒まれ李傕と対立。種劭・馬宇・劉範らが馬騰と結び李傕討伐を図るが失敗し戦死。樊稠が追撃するが、韓遂との旧交から和睦。
- 李傕は樊稠を私通の疑いで謀殺。郭汜とも不和となり、郭汜の妻の嫉妬・毒殺未遂騒動を経て両者は決裂、長安で交戦に及んだ。
- 李傕は献帝を自陣営に強制移送し宮中を放火・略奪。献帝は李傕の陣で不自由な生活を強いられる。
- 郭汜は公卿を人質に取り、李傕と互いに攻め合う。楊彪らの仲裁の使者往来を経て事態は膠着。
- 献帝は謁者皇甫酈を両陣営に遣わし和解を図るが、李傕は強気の姿勢を崩さない。皇甫酈は李傕を面詰し免官となるが処罰は免れた。
- 李傕配下の楊奉が離反を図るが密謀は露見。最終的に張済の仲介で李傕・郭汜は和睦し、献帝は弘農への東遷を許される。出発の際、羌胡の兵が宮女の下賜を求めて騒ぎ、橋を封鎖する事態となった。
評語
- 陶謙が劉備を英雄と見込んで徐州を譲ったのは慧眼であった。劉備が固辞を重ねたのも、曹操と敵対する不利を悟っていたため。呂布を迎え入れたのも対曹操の連携が目的であった。
- 李傕・郭汜の乱は王允、次いで種劭の失策に始まり、さらに郭汜の妻の讒言により両者が争い、献帝・公卿を巻き込む大乱に至った。女子小人は扱いが難しいという古言のとおりである。