後漢演義第六十九回 逆賊を罵り節婦が名を留め、密かな遺言に従い美人が計略を弄する (罵逆賊節婦留名 遵密囑美人弄技)
趙雲と劉備
- 公孫瓚配下の趙雲は冀州出身ながら袁紹に付かず公孫瓚を頼った。後に劉備と意気投合し、劉備が平原相に赴任する際に同行を許された。
孫堅の戦死
- 袁紹は公孫瓚に対抗するため荊州刺史劉表に南陽方面の牽制を依頼。袁術は孫堅に荊州攻撃を命じ、孫堅は黄祖を破って襄陽を包囲した。
- しかし黄祖の敗残兵を追って峴山に深入りした孫堅は、月明かりの下で矢と巨石の待ち伏せに遭い、岩に打たれて三十七歳で落命した。遺体は劉表側に取られたが、桓楷の交渉で取り戻され曲阿に葬られた。
袁紹と公孫瓚の界橋の戦い
- 袁紹軍と公孫瓚軍は界橋で衝突。袁紹配下の麴義が公孫瓚方の刺史嚴綱を討ち取り、顔良・文丑も奮戦して公孫瓚軍を撃破した。
- 袁紹自身は追撃してきた公孫瓚の別動隊に一時包囲されたが、麴義の援軍で救われた。その後も公孫瓚は龍瀆で再敗し、薊城に退いた。
董卓の長安専横
- 長安に入った董卓は太師の位を得て権勢を極め、郿県に「郿塢」という巨大な城砦を築いて財宝・美女を蓄え、三十年分の食糧を備蓄した。
- 皇甫規の未亡人に横恋慕して求婚したが、烈しく罵られて拒絶され、怒って殺害した(後世「礼宗」と称えられた)。
- 董卓は宴席で投降兵を残虐に処刑して見せつけ、恐怖政治を敷いた。衛尉張溫も獄中で笞殺された。
王允の謀略と貂蟬
- 司徒王允は密かに董卓打倒を図り、鄭泰・楊瓚・士孫瑞らと計画したが、いずれも露見・失敗し、鄭泰は逃亡先で病死、荀攸は投獄された。
- 王允は呂布に財宝を贈って懐柔した後、養女とした歌妓貂蟬を使って呂布と董卓の仲を裂く策を実行。貂蟬を宴席で呂布に近づけて心を奪わせ、後に「嫁がせる」と約束した上で董卓に献上した。
- 呂布は貂蟬を奪われたと知って激怒。鳳儀亭で貂蟬と密会中に董卓に見つかり、戟を投げつけられて逃げた。王允は「董卓と呂布は父子とはいえ血縁ではない」と説き、呂布の殺意を煽った。
評語
- 皇甫規の妻の烈婦としての節義を称える一方、貂蟬については、貞節の観点からは批判もあり得るが、一国のために元凶を除いた功績を評価し、実在を示す唐代の詩句(李賀「呂将軍歌」)にも触れて肯定的に評価する。