後漢演義第六十七回 遷都を議して董卓が私利を営み、強敵に遭い曹操が矢傷を受ける (議遷都董卓營私 遇強敵曹操中箭)
弘農王毒殺
- 董卓は関東義兵の檄文で真っ先に廃立を非難されたことを恨み、後患を絶つため郎中令李儒に命じて弘農王(元少帝)を鴆殺させた。
- 王は死を悟り、王妃唐姫と別れの歌を詠み交わした。唐姫が身代わりを申し出たが許されず、王は毒酒を飲んで十五歳で世を去った。唐姫はその後実家に戻り、再婚を拒んで守節した。
鄭泰の弁論と粛清
- 董卓が関東諸軍討伐のため大兵を発しようとした際、尚書鄭泰が十の理由を挙げて大軍動員の不要を説き、董卓を懐柔した。鄭泰は将軍に任じられかけたが、密かに敵と通じているとの讒言で撤回され、議郎に留められた。
- 侍御史擾龍宗は無礼を咎められ呂布に殺された。越騎校尉伍孚は董卓暗殺を図って失敗し、堂々と罵倒して処刑された。
遷都長安の強行
- 童謡や図讖を口実に、董卓は長安遷都を決意。車騎将軍朱儁は太僕への遷任を拒み遷都に反対したが、董卓は聞き入れなかった。
- 百官会議で司徒楊彪・太尉黄琬らが遷都に反対したが、董卓は威圧して押し切り、二人を罷免。遷都に反対した尚書周毖・城門校尉伍瓊は処刑され、袁隗・袁基一族も皆殺しにされた。
- 洛陽の官民数百万は強制的に長安へ移され、途中で多くの死者を出した。董卓は洛陽の宮殿・民家を焼き払い、諸陵墓も呂布に発掘させて財宝を奪わせた。
汴水の戦いと曹操の敗走
- 董卓軍は河内太守王匡を破り、捕虜を残虐な方法で処刑した。曹操は単独進撃を主張したが諸将は動かず、衛茲・張邈の援助を得て自ら先鋒として進軍。
- 徐榮の軍と汴水で激戦となり、曹操軍は大敗。曹操自身も矢を受けて落馬したが、曹洪が自らの馬を譲って救った。
- 酸棗に帰った曹操は諸将の無為無策を強く批判したが、聞き入れられず、独自に揚州へ赴いて兵を募った。その後龍亢で夜襲を受けるなど苦難が続いた。
劉虞擁立論と袁術・曹操の反対
- 関東諸将の一部は幽州牧劉虞を新帝に擁立しようとしたが、曹操は大義名分を失うとして強く反対し、袁術も同調しなかった。
評語
- 董卓は関東軍にまだ敗れていないのに遷都を急いだのは、内心の怯えの表れだとする。一方で暗殺を企てた者、諫言した者、政敵の一族まで容赦なく殺す残虐ぶりは秦の始皇帝や項羽をも上回るとし、関東諸将が結束せず私争に走ったため曹操の孤軍奮闘も実らなかったと総括する。