五代史演義第四十九回 馬氏、南唐に降り国を亡ぼし、周主、東魯を征し師を督す (降南唐馬氏亡國 徵東魯周主督師)
王峻の晋州救援
- 王峻が陝州に逗留していたのは、実は兗州の慕容彦超の不穏な動きを警戒し、郭威の親征を思いとどまらせるためであった。密使にその真意を明かし、郭威は親征を取りやめる。
- 王峻は険路の蒙阮を薬元福に先取させて晋州へ進軍。北漢・遼軍は撤退し、追撃も王峻の指示で深追いしない。遼軍は損害を出して晋陽に帰り、劉崇も費えがかさみ復讐を果たせぬまま終わる。
楚国の混乱継続
- 長沙を得た馬希萼は酒色に溺れ、寵臣謝彦顒を重用して将士の反感を買う。王逵・周行逢らが離反して朗州で独立し、劉言を擁立する。
- 徐威らのクーデターで希萼は幽閉され、弟の希崇が武安留後となる。希崇は希萼派を粛清する一方、朗州との和議や南唐への救援要請に追われる。
- 衡山で希萼が再挙兵するが失敗し、希崇も南唐将邊鎬に降伏。馬氏一族は金陵へ連行され、湖南は南唐と南漢に分割される。馬氏は六代五十六年で滅亡した。
南唐の北伐見送りと慕容彦超の叛乱
- 南唐は韓熙載の諫言で周への北伐を見送るが、兗州の慕容彦超の要請には出兵する。郭威は捕らえた南唐将燕敬権を懐柔策として釈放し、南唐に彦超への支援を断たせる。
- 慕容彦超は周に叛き、郭威は曹英らを派遣して兗州を包囲させる。彦超は民財を強奪し、諫言した崔周度や無実の閻弘魯夫婦を殺すなど暴政を敷く。
- 兗州が容易に落ちぬため、郭威はついに親征を決意して兗州へ向かう。
- (詩:慢心した慕容彦超がやがて誅滅される運命にあることを予告する)
評語
- 「家は自ら毀れてこそ人に毀される」との古諺を引き、馬氏兄弟の内紛が自滅を招いたと総括する。邊鎬の言葉を借りて世の兄弟不和を戒める。慕容彦超の無謀な叛乱も同様に自業自得であると断じる。