五代史演義第三十一回 叛鎮を討たんと行宮より将を遣わし、嗣主叔母を納れ倫を乱す (討叛鎮行宮遣將 納叔母嗣主亂倫)

安重榮の跋扈と反遼論

  • 成德節度使・安重栄は「兵さえ強ければ誰でも天子になれる」と公言し、幡竿の龍首を射当てて天命を得たと自負する。契丹の使者を辱め殺すなど強硬姿勢を取り、晋主は姻戚関係にある皇甫遇を転任させ、劉知遠を北京留守として警戒を強める。
  • 重栄は吐谷渾・突厥・沙陀等が遼に叛き晋に帰属を望んでいるとして北伐を上表するが、桑維翰は「契丹は国力充実し戦えば必ず勝つ相手、今の中国は疲弊している」として和平継続を諫め、晋主はこれに従い重栄を戒める詔を下す。

安従進の反乱と安重栄の敗死

  • 重栄は同姓の山南東道節度使・安従進と結び、従進も晋主の転任要求を拒んで反意を固める。晋主が鄴都巡幸で不在の間、留守の鄭王重貴に和凝の献策で空白の宣勅を持たせ、従進の挙兵に即応できるよう備えた。
  • 従進は鄧州へ進撃するが高行周らに撃破され襄州で自焼死。安重栄も晋軍(杜重威・馬全節)に敗れ、鎮州で牙城に追い詰められ斬首、首は遼主に献じられた。

契丹への服属と高祖の死

  • 遼主は重栄が遼使を殺したことに激怒するが、後に重栄の反乱が晋の意思でないと知り事態は収まる。しかし吐谷渾の帰順や酋長・白承福の引き渡し要求など遼の圧力は続き、晋高祖は憂鬱のうちに病に倒れ、鄴都で崩御(在位七年、五十一歳)。
  • 高祖は末子・重睿を馮道に託そうとするが、侍衛都虞侯・景延広の主張で年長の重貴(斉王)が擁立される。

重貴の即位と対遼強硬論

  • 重貴は即位後、安従進討伐の功労者らを賞し、景延広を同平章事・侍衛馬步軍都指揮使とする。延広は権勢を恃み専横し、高祖の遺言だった劉知遠への輔政を反故にして河東節度使に追いやる。
  • 遼への上表で「孫と称するが臣とは称さない」と延広が主張し、学士・李崧の諫めも聞かず強行。遼主はこれに激怒し、趙延寿の讒言も加わって遼晋関係は決定的に悪化する。

重貴と叔母・馮氏の不倫

  • 重貴は叔母(叔父・重胤の妻だった馮氏)に以前から想いを寄せていたが、高祖の存命中は憚っていた。高祖の喪に服す馮氏の美しさに改めて心を奪われ、皇位継承後に彼女を口説き落として関係を結ぶ。
  • 重貴は太后・太妃を尊立した後、馮氏を皇后に立てようとし、高祖の位牌の前で廟見の礼まで行う。宴席で泥酔した重貴が「先帝は大慶に与らせない」と口走り一同の失笑を買う場面も描かれる。

評語

  • 著者は安従進・安重栄がいずれも大した器量も功績もないのに、石敬瑭の成功に倣って非分の栄達を望んだ結果、身の程を知らず滅んだのは当然と評す。
  • 重貴については、即位早々に景延広の言に従い契丹を怒らせ外患を招いた上、叔母・馮氏を娶るという倫理破壊を犯し、人主でありながら禽獣同然の行いをしたと断じ、国の危亡は必然だったとする。馮氏についても、後に重貴と共に沙漠で果てた末路は「淫を好む者への天道の報い」であると結ぶ。