五代史演義第十一回 耶律阿保機、勢いを得て天皇と号し、胡柳陂の戦いで良将を喪う (阿保機得勢號天皇 胡柳陂輕戰喪良將)
契丹の勃興と阿保機の権力集中
- 契丹は八部から成り、三年交代で首長を選ぶ習わしだったが、阿保機は九年にわたり地位を独占。漢人を漢城に住まわせて農耕・城郭を興し勢力を蓄えた。
- 妻述律氏は室韋の来襲を自ら撃退するなど内助の功が大きく、鹽利を口実に八部の大人を漢城の宴に集めて謀殺し、阿保機は契丹全土を掌握した。
晋との交渉と梁への接近
- かつて李克用は阿保機と盟約を結び兄弟の誓いを交わしたが、梁が唐を簒奪すると阿保機は約を破って梁に通じ、封冊を求めた。李克用はこれを深く恨み、死に際して存勗に契丹討伐を託した。
- 存勗は当面河北平定を優先し契丹とは名目上友好を保つ。韓延徽は契丹に抑留されたが述律氏の進言で重用され、契丹の制度整備(文字・礼儀・官号)に貢献。阿保機は天皇王を称し、述律氏を天王皇后として天贊と改元、国号を上京に定めた。
韓延徽の去就と契丹の南寇
- 延徽は一時晋に帰参したが讒言で疑われ再び契丹へ戻り、以後晋との融和に努めた。しかし契丹は新州・蔚州へ侵攻し、李嗣本が捕らえられるなど北辺は動揺した。
幽州攻防と晋軍の来援
- 周徳威は契丹の猛攻に一度は敗れて幽州に退き籠城。契丹は攻城具を用いたが晋軍の防戦で攻めあぐね、李嗣源・李存審らの援軍が山中の間道を経て来援し、契丹軍を撃退(阿保機は撤退、残留部隊も晋軍に大敗)した。
楊劉城の攻防と晋の南進
- 晋王は黄河結氷に乗じて渡河し、楊劉城を落とした。梁主友貞は狼狽して郊祀を中止して帰還。翌年梁は謝彦章に楊劉奪還を命じたが晋王の計略で大敗(水攻めを逆手に取った渡河奇襲)。
賀瓌・謝彦章の内訌
- 賀瓌は謝彦章を晋に内通していると讒言し、朱珪と謀って彦章と孟審澄・侯温裕を誅殺した。梁主は事の真偽を確かめず珪を昇進させた。
胡柳陂の戦いと周徳威の戦死
- 晋王は彦章誅殺の隙に乗じて汴梁へ急進しようとし、周徳威の慎重論を退けて胡柳陂で梁軍と激突。晋の輜重兵が敗走する梁軍の旗を見て誤って浮足立ち、周徳威の幽州軍も混乱に巻き込まれて、徳威父子は乱軍の中で戦死した。
評語
契丹の強盛は述律氏の謀略に負うところが大きいが、八部大人を欺いて誅殺したその手段は酷薄であった。晋の梁討伐自体は大義があったが、晋王が軽率に深入りしたことは慎みを欠き、老将周徳威までも巻き添えで戦死させた。徳威自身も年老いて油断があったのではないかとも評される。