魏書卷一百五之二 志第二 天象一之二

太祖(道武帝)期

  • 皇始二年(397年)6月庚戌、月が端門の外で太白(金星)を掩った。占いは「国が兵を受ける」とし、9月に燕王慕容賀驎が三万余人を率いて新市に来寇したが、10月に太祖はこれを義台塢で破り九千余級を斬った。
  • 天興元年(398年)11月丁丑、月が東上相を犯した。
  • 天興二年(399年)5月辛酉、月が東上相を掩った。8月壬辰、月が牽牛を犯した。占いは「国に憂いがある」とし、三年(400年)2月丁亥、皇子聡が薨じた。
  • 天興三年(400年)3月乙丑、月が牽牛の位置で鎮星を犯した。7月己未、同じく牽牛で鎮星を犯した。辛酉、月が哭星を犯した。
  • 天興四年(401年)3月甲子、月に歯のような光芒が生じた。占いは「賊臣がある」とし、五年(402年)11月、秀容の胡族の頭目で前平原太守の劉曜が衆を集めて盗を働いたため騎兵を遣わして誅した。7月丁卯、月が天関を犯した。10月甲子、月が東次相を犯した。
  • 天興五年(402年)4月辛丑、月が東井で辰星を掩った。5月丙申、月が太微を犯した。7月己亥、月が左角で歳星を犯した。10月戊申、月が左角で暈をなした(この時、帝は乾壁で姚興の弟平を討ち破ったが、太史令晁崇が「角の獣が死ぬ兆しがあり牛疫を憂う」と奏したため、諸軍に命じて車を焼かせ、丙戌に車駕を北へ引いたところ、牛の大疫で十のうち八、九が死に、官車を牽く大牛数百頭も同日に路傍で斃れて首尾相連なり、麋鹿も多く死んだ)。乙卯、月が太微を犯した。占いは「貴人に憂いがある」とし、六年(403年)7月、鎮西大将軍・司隷校尉の毗陵王順が罪により王のまま邸に還された。12月庚申、月と太白がともに羽林に入った。
  • 天興六年(403年)正月、月が氐の西南星を掩った。6月甲辰、月が北斗魁の第四星を掩った。10月乙巳、月が軒轅第四星を犯した。11月辛巳、月が熒惑を犯した。
  • 天賜元年(404年)2月甲辰、月が角で歳星を掩った。占いは「天下に兵が起こる」とし、三年(406年)4月、蠕蠕が辺境を犯し夜に兵を召したが夜明けに賊が逃げたため事無きを得た。4月甲午、月が軒轅第四星を掩った。占いは「女主が悪む」とし、六年(409年)7月、夫人劉氏が薨じ後に宣穆皇后と諡された。5月壬申、月が斗魁第二星を掩った。
  • 天賜二年(405年)3月壬辰、月が左執法を掩った。丁酉、月が心前星を掩った。4月己卯、月が東壁で鎮星を犯した。占いは「貴人が死ぬ」とし、四年(407年)5月、常山王遵が罪により賜死された。7月己未、月が鎮星を掩った。8月丁巳、月が斗第一星を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、7月、太尉穆崇が薨じた。10月丁巳、月が営室で鎮星を掩った。
  • 天賜三年(406年)2月己丑、月が心後星を犯した。4月癸丑、月が太微西上将を犯した。己未、月が房南第二星を犯した。占いは「将相に憂いがある」とし、四年(407年)5月、定陵公和跋が誅された。5月癸未、月が左角を犯した。占いは「左将軍が死ぬ」とし、六年(409年)3月、左将軍曲陽侯元素延が死んだ。12月丙午、月が危で太白を掩った。
  • 天賜四年(407年)2月庚申、月が心後星を掩った。
  • 天賜五年(408年)5月丁未、月が斗第二星を掩った。占いは「大人に憂いがある」とし、六年(409年)10月戊辰、太祖が崩じた。

太宗(明元帝)期

  • 永興元年(409年)2月甲子、月が昴を犯した。占いは「胡が安んぜず天子が匈奴を破る」とし、二年(410年)5月、太宗が蠕蠕の社崙を討ち社崙は逃走した。9月壬寅、月が昴を犯した。閏10月丁酉、月が昴を犯した。
  • 永興二年(410年)3月丁卯、月が房南第二星を掩り、また斗第五星も掩った。5月甲子、月が斗第五星を掩った。己亥、月が昴を掩った。6月己丑、月が房南第二星を犯した。7月乙亥、月が輿鬼を犯した。8月甲申、月が心前星を犯した。
  • 永興三年(411年)6月庚子、月が畢で歳星を犯した。占いは「辺境に兵事がある」とし、五年(413年)4月、上党の民労聡・士臻らが群れをなして盗となり太守・県令らを殺して外へ逃亡した。8月乙未、月が参で歳星を犯した。
  • 永興四年(412年)正月壬戌、月が畢を行き歳星を蝕した。癸亥、月が房北第二星を掩った。閏月庚申、月が昴を行き熒惑を犯した。7月、月が熒惑を蝕した。8月戊申、月が泣星を犯した。10月辛亥、月が天関を掩った。占いは「兵事がある」とし、五年(413年)6月、濩澤の民劉逸が征東将軍・三巴王を自称し官属を置いて建興郡に迫ったが、元城侯元屈らが討ち平らげた。
  • 永興五年(413年)3月戊辰、月が参を行き太白を犯した。4月癸卯、月が翼・軫・角で暈をなした。7月庚午、月が鉤鈐を掩った。占いは「喉舌の臣に憂いがある」とし、この月、散騎常侍王洛児が卒した。8月庚申、月が太白を犯した。占いは「兵を憂う」とし、神瑞元年(415年)2月、赫連屈丐が河東に入寇し吏民を殺掠したが、三城護軍張昌らがこれを要撃して撃退した。9月己丑、月が左角を犯した。占いは「天下に兵がある」とし、神瑞元年(415年)12月、蠕蠕が塞を犯した。10月乙巳、月が畢を犯した。占いは「貴人に死者がある」とし、泰常元年(416年)3月、長楽王処文が薨じた。11月丙戌、月が房第一星を蝕した。12月甲辰、三たび東井で暈をなした。
  • 神瑞元年(415年)正月丁卯、月が畢を犯した。占いは「貴人に死者がある」とし、泰常元年(416年)4月庚申、河間王修が薨じた。2月戊申、月が房第一星を蝕した。3月壬申、月が左角を蝕した。5月壬寅、月が牽牛南星を犯した。6月丙申、月が氐を掩った。7月庚辰、月が天関を犯した。8月丁酉、月が牽牛中大星を蝕した。己酉、月が西咸を犯した。占いは「陰謀がある」とし、神瑞二年(416年)3月、河西の飢えた胡族が上党に屯聚し白亜栗斯を盟主に推して大単于を称し建平元年と号したため、4月に将軍公孫表ら五将に討伐を命じた。
  • 神瑞二年(416年)3月丁巳、月が畢に入った。占いは「天下に兵が起こる」とし、泰常元年(416年)3月、常山の民霍季が図讖に名が載ると称し黒石を天から賜った玉印だと偽って民を惑わし党を集めて入山し盗となったが、州郡が捕らえて斬った。4月己卯、月が畢陽星を犯した。7月辛丑、月が畢を犯した。占いは「貴人に死者がある」とし、泰常元年(416年)12月、南陽王良が薨じた。8月壬子、月が氐を犯した。10月甲子、月が畢で暈をなした。11月、月が軒轅で暈をなした。戊午、月が畢陽星を犯した。
  • 泰常元年(416年)5月甲申、月が角で歳星を犯した。6月己巳、月が畢を犯した。占いは「貴人が死ぬ」とし、二年(417年)10月、豫章王夔が薨じた。7月、月が牛を犯した。10月丙戌、月が畢に入った。占いは「辺境に兵事がある」とし、二年(417年)2月、司馬徳宗(東晋)の譙王司馬文思が江東から使者を遣わし劉裕討伐の軍を請う上書をしたため、太宗は司徒長孫嵩に諸将を率いてこれを迎え撃つよう詔した。
  • 泰常二年(417年)正月戊申、月が輿鬼の積尸を犯した。己酉、月が軒轅の爟星を犯した。占いは「女主に憂いがある」とし、五年(420年)6月丁卯、貴嬪杜氏が薨じ後に密皇后と諡された。4月壬申、月が張で鎮星を犯した。5月癸亥、月が東井で太白を犯した。5月丙子、月が軒轅を犯した。7月丁巳、月が東井を犯した。8月己酉、月が牽牛を犯した。占いは「その地に憂いがある」とし、三年(418年)、司馬徳宗が死んだ。丁卯、月が太微を犯した。9月丙寅、月が張・翼で熒惑を犯した。11月癸未、月が東井南轅西頭第一星を犯した。占いは「諸侯貴人が死ぬ、あるいは水害がある」とし、三年(418年)8月、鴈門・河内で大雨があり水害となったため税租を免じ、五年(420年)3月には南陽王意文が薨じた。11月庚申、月が斗で太白を犯した。12月庚辰、月が太微で熒惑を犯した。
  • 泰常四年(420年)正月丙午、月が太微を犯した。3月壬寅、月が太微を犯した。5月丙申、月が太微を犯した。占いは「人君に憂いがある」とし、八年(423年)11月、太宗が崩じた。12月丁巳、月が太白を犯し羽林に入った。
  • 泰常五年(420年)11月辛亥、月が亢で熒惑を蝕した。占いは「韓・鄭の地が大敗する」とし、八年(423年)9月、劉義符配下の潁川太守李元徳が密かに許昌に入ったため、太宗は交阯侯周幾に討伐を命じ、元徳は逃走した。
  • 泰常六年(421年)2月己亥、月が南斗の杓星を蝕した。5月丙辰、月が角・亢で暈をなした。
  • 泰常七年(422年)正月丁卯、月が南斗を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、3月、河南王曜が薨じた。3月壬戌、月が南斗を犯した。5月丙午、月が軒轅を犯した。6月辛巳、月が房を犯した。占いは「将相に憂いがある」とし、八年(423年)6月己亥、太尉宜都公穆観が薨じた。

世祖(太武帝)期

  • 始光元年(424年)正月壬午、月が心の中央大星を犯した。
  • 始光二年(425年)3月丙子、月が虚で熒惑を犯した。12月丁酉、月が軒轅を犯した。
  • 神䴥三年(430年)夏4月壬戌、月が軒轅を犯した。6月、月が歳星を犯した。
  • 神䴥四年(431年)10月丙辰、月が天関を掩った。占いは「兵事がある」とし、延和元年(432年)7月、世祖が和龍で馮文通を討った。12月、月が房の鉤鈐を犯した。
  • 延和元年(432年)3月、月が軒轅を犯した。4月、月が左角を犯した。占いは「天下に兵がある」とし、二年(433年)2月、征西将軍金崖が安定鎮将延普・涇州刺史狄子玉と権をめぐって争い、兵を挙げて延普を攻めたが克てず胡空谷に退いて拠り平民を駆り集めて険阻に拠ったため、世祖は平西将軍・安定鎮将陸俟に討伐を命じ捕らえさせた。5月、月が軒轅を犯し南斗第六星を掩った。7月丙午、月が左角を蝕した。
  • 延和三年(434年)2月庚午、月が畢の口を犯して出、また昴・五車・参で暈をなした。占いは「貴人が死ぬ」とし、5月甲子、陰平王求が薨じた。閏月己丑、月が東井に入り太白を犯した。占いは「兵を憂う」とし、7月辛巳、世祖は隰城に行幸し諸軍に命じて西河の山胡白龍を討たせ克った。
  • 太延元年(435年)5月壬子、月が右執法を犯した。占いは「執法に憂いがある」とし、10月、尚書左僕射安原が謀反し誅殺された。10月丙午、月が右執法を犯した。
  • 太延二年(436年)正月庚午、月が熒惑を犯した。占いは「貴人が死ぬ」とし、三年(437年)正月癸未、征東大将軍中山王纂が薨じた。2月、月が太微東蕃第一星を犯した。3月癸亥、月が太微右執法・上将を犯した。占いは「将相に免ぜられる者がある」とし、真君二年(441年)3月庚戌、新興王俊・略陽王羯児が罪により黜されて公とされた。
  • 太延三年(437年)正月、月が東井を犯した。占いは「将相が死ぬ」とし、戊子、太尉北平王長孫嵩が薨じ、乙巳、鎮南大将軍丹陽王叔建が薨じた。9月丙申、月が太微で暈をなした。
  • 太延四年(438年)4月己卯、月が氐を犯した。11月戊戌、月が太白を掩った。11月丁未、月が東井を犯した。占いは「将軍が死ぬ」とし、真君二年(441年)9月戊戌、撫軍大将軍永昌王健が薨じた。
  • 太延五年(439年)6月甲午朔、月が西方に見えた。7月、月が鎮星を掩った。
  • 太平真君元年(440年)12月、月が太微を犯した。
  • 太平真君二年(441年)6月壬子朔、月が西方に見えた。
  • 太平真君三年(442年)3月癸未、月が太白を犯した。占いは「兵を憂う」とし、四年(443年)正月、征西将軍皮豹子らが楽郷で劉義隆の将を大破し、その将王奐之・王長卿らを捕らえた。
  • 太平真君五年(444年)5月甲辰、月が心後星を犯した。
  • 太平真君六年(445年)4月、月が心を犯した。占いは「国を亡ぼす者がある」とし、この月、征西大将軍高涼王那が陰平で吐谷渾の慕利延を討ち、軍が曼頭城に至ると慕利延は部落を駆って西へ流沙を渡ったため、那は急追し、かつての西秦王慕璝の世子被囊が逆軍を迎え撃つと那はこれを撃破し、慕利延はついに西の于闐に入った。
  • 太平真君七年(446年)8月癸卯、月が熒惑を犯しまた軒轅を犯した。11月、月が軒轅を犯した。
  • 太平真君八年(447年)正月庚午、月が心の大星を犯した。
  • 太平真君九年(448年)正月、月が歳星を犯した。
  • 太平真君十一年(450年)正月甲子、月が羽林に入った。
  • 正平元年(451年)正月、月が羽林に入った。

高宗(文成帝)期

  • 太安四年(458年)正月己未、月が太微に入り西蕃を犯した。3月、月が五諸侯を犯した。6月癸酉朔、月が西方に生じた。8月、月が南斗に入った。9月、月が軒轅を犯した。12月、月が氐を犯した。
  • 太安五年(459年)正月、月が軒轅を掩り、また氐東南星も掩った。6月、月が心前星を犯した。12月、月が左執法を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、和平二年(461年)4月、侍中征東大将軍河東王閭毗が薨じた。
  • 和平元年(460年)正月丁未、月が南斗に入った。3月、月が軒轅を掩った。占いは「女主が悪む」とし、4月、保皇太后常氏が崩じた。6月戊子、月が心前星を犯した。11月壬辰、月が右執法を犯した。
  • 和平二年(461年)正月、月が心後星を犯した。9月、月が心の大星を犯した。
  • 和平三年(462年)3月壬寅、月が心後星を犯した。8月、月が哭星を犯した。
  • 和平四年(463年)4月、月が軒轅の御女星を掩った。
  • 和平五年(464年)2月甲申、月が南斗魁の中で第三星を犯した。3月庚子、月が輿鬼の積尸に入った。
  • 和平六年(465年)7月、月が心前星を犯した。9月、月が軒轅の右角を犯した。

顕祖(献文帝)期

  • 天安元年(466年)6月甲辰、月が東井を犯した。10月癸巳、月が東井を掩った。
  • 皇興元年(467年)正月丙辰、月が東井北轅東頭第三星を犯した。8月辛酉、月が東井南轅第二星を蝕した。占いは「将が死ぬ」とし、正月、司空平昌公和其奴が薨じた。10月癸巳、月が参で蝕した。
  • 皇興二年(468年)4月丙辰、月が牽牛中星を犯した。
  • 皇興三年(469年)12月乙酉、月が氐を犯した。
  • 皇興五年(471年)7月辛巳、月が東井を犯した。

高祖(孝文帝)期

  • 延興元年(471年)10月庚子、月が畢の口に入った。占いは「赦がある」とし、二年(472年)正月乙卯、京師および河西・南は秦・涇まで、西は枹罕まで、北は涼州および諸鎮まで曲赦した。
  • 延興二年(472年)正月壬戌、月が畢を犯した。占いは「天子が法を用いる」とし、9月辛巳、統万鎮将河間王閭虎皮が貪残の罪により賜死された。閏月丙子、月が東井を犯した。占いは「水害がある」とし、この年、州鎮十一で水旱があり民田租を免じ倉を開いて賑恤した。庚子、月が東井北轅を犯した。
  • 延興三年(473年)8月己未、月が太微を犯した。占いは「将相が免ぜられる、期限は三年を出ない」とし、承明元年(476年)2月、司空東郡王陸定国が事に坐して官爵を免ぜられた。12月戊午、月が七星で蝕した。京師では見えず統万鎮が上奏した。
  • 延興四年(474年)正月己卯、月が畢を犯した。占いは「貴人が死ぬ」とし、五年(475年)12月、城陽王長寿が薨じた。2月癸丑、月が軒轅を犯した。甲寅、月が歳星を犯した。占いは「飢饉がある」とし、太和元年(477年)正月、雲中で飢饉があり倉を開いて賑恤した。9月乙卯、月が右執法を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、承明元年(476年)6月、大司馬大将軍安成王万安国が詔を矯めて部長奚買奴を苑中で殺した罪により賜死された。
  • 延興五年(475年)3月甲戌、月が鎮星を掩った。8月乙亥、月が畢を掩った。占いは「辺境に兵事がある」とし、太和元年(477年)正月、秦州略陽の民王元寿が五千余家を集めて衝天王を自称し、2月に秦益二州刺史武都公尉洛侯に討伐を命じて元寿を破りその妻子を捕らえ京師に送った。11月癸卯、月が軒轅に入り第三星を蝕した。
  • 承明元年(476年)4月甲戌、月が尾を蝕した。
  • 太和元年(477年)2月壬戌、月が井で暈をなし参・南北河・五車二星・三柱・熒惑に及んだ。3月甲午、月が太微を犯した。戊辰、月が尾を蝕し濁気に入って見えなくなった。5月丁亥、月が軒轅の大星を犯した。丙午、月が太微に入った。8月庚申、月が南斗に入り第三星を犯した。戊寅、月が太微に入り屏南星を犯した。10月乙丑、月が昴を蝕した。京師では見えず雍州が上奏した。占いは「貴臣が誅される」とし、この月、徐州刺史李訢が誅された。12月癸卯、月が南斗を犯した。
  • 太和二年(478年)6月庚辰、月が太微東蕃南頭第一星を犯した。京師では見えず定州が上奏した。甲申、月が房・太微を犯した。8月壬午、月が南斗に入った。占いは「大臣が誅される」とし、12月、南郡王李恵が誅された。9月庚申、雲が開いたり合わさったりする中、月は昴で蝕した。10月戊戌、月が南斗の口中に入った。占いは「大臣が誅される」とし、三年(479年)4月、雍州刺史宜都王目辰が罪により賜死された。11月甲子、月が鎮星を犯した。12月戊戌、月が南斗の口中に入った。
  • 太和三年(479年)正月壬子、月が觜・参・両肩・五車五星・畢・東井で暈をなした。占いは「赦がある」とし、10月、天下に大赦した。2月庚寅、月が心を犯した。3月庚戌、月が南斗の口中に入った。占いは「大臣が誅される」とし、9月、定州刺史安楽王長楽が罪により京師に召され賜死された。乙卯、月が南斗の口中に入った。7月癸未、月が心を犯した。10月、月が心を犯した。12月丙戌、月が太微左執法を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、四年(480年)正月、襄城王韓頽が罪により削爵され辺境に徙された。
  • 太和四年(480年)正月丁未、月が畢で暈をなし参・両肩・五車・東井に及んだ。丁巳、月が心を犯した。占いは「臣が主を伐つ」とし、五年(481年)2月、沙門法秀が謀反し誅殺された(この間、月が心を犯した記事が一件、干支欠字のまま底本にある)。2月己卯、月が軒轅北第二星を犯した。辛巳、月が太微左執法を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、閏月、頓丘王李鍾葵が罪により賜死された。壬午、月が蝕した。乙酉、月が熒惑を掩った。
  • 太和五年(481年)2月癸卯、月が太微西蕃南頭第一星を犯した。甲辰、月が翼で暈をなし東南が一周せず、しばらくして西北に偏った白暈が現れ五車二星・東井・北河・輿鬼・柳・北斗・紫微宮・攝提・翼星を侵した。戊戌、月が心を犯した。京師では見えず済州が上奏した。7月戊寅、月が昴を犯した。占いは「喪の会がある」とし、六年(482年)正月、任城王雲が薨じた。
  • 太和六年(482年)正月癸亥、月が畢で暈をなし参・両肩・五車三星・胃・昴・畢に及んだ。京師では見えず営州が上奏した。己巳、月が張で軒轅の大星を犯した。辛未、月が蝕した。5月戊申、月が南斗の口中に入った。戊寅、月が昴を犯した。7月丁卯、月が蝕した。11月辛亥朔、月が寅の方角に東方に見えた。京師では見えず平州が上奏した。
  • 太和七年(483年)5月辛卯、月が南斗を犯した。
  • 太和八年(484年)正月辛巳、月が畢で暈をなし東井・歳星・觜・参・両肩・五車に及んだ。3月己丑、月が心を犯した。4月丁亥、月が斗を蝕した。癸亥、月が昴を犯した。相州が上奏した。占いは「喪の会がある」とし、十一年(487年)5月、南平王渾が薨じた。5月丁亥、月が斗で蝕し尽きた。占いは「飢饉がある」とし、12月、州鎮十五が水旱で民が飢えたため、使者を遣わして各地を巡らせ苦しみを問い倉を開いて賑恤した。
  • 太和九年(485年)正月丁丑、月が参で暈をなし觜・参・両肩・東井・北河・五車三星に及んだ。占いは「水害がある」とし、この年、冀・定など数州で水害があり男女を売る民があった。戊申、月が東井を犯した。占いは「貴人が死ぬ、あるいは水害がある」とし、10月、侍中司徒魏郡王陳建が薨じ、この年、京師および州鎮十二で水旱により作物が損なわれた。4月丁未、月が心を犯した。11月戊寅、月が蝕した。
  • 太和十年(486年)11月辛亥、月が房を犯した。
  • 太和十一年(487年)正月丙午、月が房の鉤鈐を犯した。2月癸亥、月が東井を犯した。3月丙申、月が三たび太微で暈をなした。庚子、月が氐を蝕した。占いは「穀物が高騰する」とし、この年、収穫が不作で民が関を出て食を求めることを許し倉を開いて賑恤した。6月、月が斗を犯した。丙寅、月が建星を犯した。7月丁未、月が東井に入った。8月己巳、月が胃を蝕した。占いは「兵事がある」とし、この月、蠕蠕が塞を犯したため平原王陸叡に討伐を命じた。9月戊戌、雲が離合する中、月は胃で蝕した。11月乙巳、月が氐に入った。12月戊午、月と熒惑が東壁で合した。甲子、月が東井に入り天関を犯した。
  • 太和十二年(488年)正月戊戌、月が左角を犯した。2月壬戌、月が太微で暈をなした。丁卯、月が氐を犯した。4月癸丑、月が東井を犯した。占いは「将が死ぬ」とし、9月、司徒淮南王他が薨じた。壬戌、月が氐で歳星と同座した。癸亥、月が房を犯した。6月丁巳、月が氐に入り歳星を犯した。7月乙酉、月が房を犯した。庚寅、月が牽牛を犯した。庚子、月が畢を犯した。9月、月が蝕して尽きた。11月己未、月が東井を犯した。丙寅、月が左角を犯した。占いは「天下に兵がある」とし、十二年(488年)正月、蕭賾(南斉)が衆を遣わして辺境に寇したが淮陽太守王僧儁が撃退した。12月甲申、月が畢を犯した。乙未、月が氐を犯した。丙申、月が房を犯した。
  • 太和十三年(489年)正月甲寅、月が東井に入った。壬戌、月が牽牛を掩った。2月己丑、月が角で蝕し十五分の七に及んだ。3月庚申、月が歳星を犯した。4月丙戌、月が房を犯した。6月乙酉、月が牽牛を掩った。乙未、月が畢を犯した。占いは「貴人が死ぬ」とし、12月、司空河東王苟頽が薨じた。7月丁未、月が氐に入った。戊申、月が楗閉を犯した。8月丙戌、天に薄雲がかかる中、月は未で蝕した。占いは「兵事がある」とし、十四年(490年)4月、地豆干がしばしば塞を犯したため征西大将軍陽平王頤に討伐を命じ撃退した。9月丁巳、月が畢を掩った。庚申、月が東井に入った。10月己卯、月が熒惑を掩り、また畢も掩った。丁酉、月が楗閉を犯した。12月壬午、月が東井に入った。
  • 太和十四年(490年)2月甲戌、月が畢を犯した。6月甲戌、月が亢を犯した。8月乙亥、月が牽牛を犯した。辛卯、月が軒轅を犯した。占いは「女主がこれに当たる」とし、9月、文明皇太后馮氏が崩じた。10月壬午、月が東井に入った。戊子、月が太微を犯した。11月戊戌、月が鎮星を犯した。乙卯、月が太微右執法を犯した。12月庚辰、月が軒轅を犯した。癸未、月が太微左執法を掩った。
  • 太和十五年(491年)正月己酉、月が張で蝕した。3月丙申、月が畢を掩った。占いは「辺境に兵事がある」とし、十六年(492年)8月、陽平王頤・右僕射陸叡に十二将七万騎を督させて北の蠕蠕を討伐させた。4月庚午、月が軒轅を犯した。癸酉、月が太微東蕃上将を犯した。占いは「貴人に憂いがある」とし、6月、済陰王鬱が貪残の罪により賜死された。癸未、月が歳星を犯した。5月庚子、月が太微左執法を掩った。占いは「大臣に憂いがある」とし、十七年(493年)2月、南平王霄が薨じた。丁未、月が建星を掩った。7月乙未、月が太微東蕃を犯した。辛丑、月が建星を掩った。癸卯、月が牽牛を犯した。9月乙丑、月が牽牛を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、十七年、蕭賾が死んだ(「大臣」は「呉越」の誤りかとされる)。癸未、月が太微に入り右執法を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、十七年8月、三老・山陽郡開国公尉元が薨じた。10月甲午、月が鎮星を犯した。戊申、月が軒轅を犯した。11月乙巳、月が畢を犯した。辛未、月が東井に入った。12月辛卯、月が蝕して尽きた。
  • 太和十六年(492年)2月甲辰、月が氐に入った。3月己卯、月が羽林に入った。4月壬辰、月が太微に入った。丙午、月が羽林に入った。5月壬子、月が南斗第六星を掩った。甲戌、月が羽林に入った。6月戊子、月が熒惑を犯した。占いは「貴人が死ぬ」とし、十九年(495年)5月、広川王諧が薨じた。己丑、月が太微に入った。丁酉、月が建星を掩った。丁未、月が畢に入った。占いは「辺境に兵事がある」とし、十九年正月、平南将軍王粛がしばしば義陽で蕭鸞の軍を破り降る者一万余りに及んだ。7月甲戌、月が畢に入った。丁丑、月が軒轅を犯した。8月壬辰、月が建星を犯した。壬寅、月が畢を犯した。甲辰、月が東井に入った。戊申、月が軒轅を犯した。占いは「女主がこれに当たる」とし、二十年(496年)10月、皇后馮氏が廃された。辛亥、月が太微に入り右執法を犯した。9月癸亥、月が鎮星を掩った。10月辛卯、月が羽林に入った。癸亥、月が東井に入った。11月甲子、月が畢を犯した。壬申、月が太微に入った。丁丑、月が氐に入った。12月丁酉、月が柳で蝕した。占いは「国に大事があり兵が起こる」とし、十七年(493年)8月己丑、車駕が京師を発して南伐し歩騎三十余万に及んだ。
  • 太和十七年(493年)正月己丑、月が軒轅を犯した。壬申、月が氐を犯した。3月甲午、月が太微に入った。壬寅、月が南斗第六星を掩った。4月癸丑、月が太微に入った。占いは「大臣が死ぬ」とし、十九年(495年)2月辛酉、司徒馮誕が薨じた。壬寅、月が羽林に入った。5月甲子、月が南斗第六星を犯した。乙丑、月が建星を掩った。6月甲午、月が女で蝕した。占いは「旱がある」とし、二十年(496年)、南北の州郡が旱害となり侍臣を遣わして巡察させ倉を開いて賑恤した。7月壬子、月が太微に入った。占いは「反臣がある」とし、二十年2月、恒州刺史穆泰が謀反し誅殺され連座する者が多かった。丙辰、月が氐に入った。癸未、月が南斗第六星を犯した。庚申、月が建星を犯した。8月庚寅、月が哭星を犯した。辛卯、月が羽林に入った。丁酉、月が畢に入った。占いは「兵が起こる」とし、十九年2月、車駕が南伐し鍾離に至った。辛丑、月が輿鬼を犯した。乙巳、月が太微に入り屏星を犯した。10月壬午、月が建星を犯した。甲午、月が東井に入った。11月壬子、月が哭星を犯した。辛酉、月が東井前星を犯した。丁卯、月が太微に入った。占いは「大臣が死に反臣がある」とし、二十七年4月、大将軍宋王劉昶が薨じ広州刺史薛法護が南朝へ叛いた。壬申、月が氐に入った。12月辛巳、月が羽林に入った。乙未、月が太微に入った。己亥、月が氐に入った。
  • 太和十八年(494年)2月甲午、月が氐に入った。4月庚申、月が斗で蝕した。6月丁卯、月が東井に入った。
  • 太和十九年(495年)3月己卯、月が軒轅を犯した。占いは「女主がこれに当たる」とし、二十一年(497年)10月、貞皇后林氏を追廃して庶人とした。
  • 太和二十年(496年)7月辛巳、月が鎮星を掩った。10月丙午、月が畢で蝕した。
  • 太和二十一年(497年)3月丁酉、月が屏星を犯した。4月庚午、月が房星を掩った。6月丁卯、月が斗魁を掩った。12月乙亥、月が心を掩った。
  • 太和二十二年(498年)正月丙申、月が軒轅を掩った。占いは「女主がこれに当たる」とし、二十三年(499年)、皇后馮氏に死を賜った。2月乙丑、月と歳星・熒惑が右掖門内で合した。丁卯、月が角で蝕した。占いは「天子に憂いがある」とし、二十三年4月、高祖が崩じた。7月乙酉、月が心を掩った。9月庚申、月が昴を蝕した。
  • 太和二十三年(499年)2月壬戌、月が軫で蝕した。6月癸未、月が房南頭第二星を掩った。甲申、月が箕北頭第一星を掩った。8月、月が壁で子の刻以上蝕した。11月癸丑、月が畢で暈をなし昴・觜・参・五車に及んだ。12月己卯、月が昴を掩った。辛巳、月が五車を掩った。

世宗(宣武帝)期

  • 景明元年(500年)正月丙辰、月が翼で蝕し十五分の三に及んだ。12月癸未、月が太微で暈をなし、やがて長さ一匹・幅二尺ほどの白気が南の七星まで至り、まもなく月は再び北斗・大角で暈をなした。丁亥、月が角・亢・房で暈をなした。
  • 景明二年(501年)正月甲辰、月が井・觜・参・両肩・昴・五車で暈をなした。占いは「貴人が死に大赦がある」とし、2月甲戌、天下に大赦し、5月壬子、広陵王羽が薨じた。2月丙子、月が軒轅の大星を掩った。占いは「女主に憂いがある」とし、正始四年(507年)10月、皇后于氏が崩じた。癸未、月が房南頭第二星を掩り、丙戌、月が南斗の距星から南三尺の位置に入った。占いは「呉越に憂いがある」とし、12月、蕭宝巻の直後張斉玉が宝巻を殺した。5月丙午、月が心第三星を掩った。戊申、月が斗魁第三星を掩った。7月辛亥、月が婁で暈をなし、内は青、外は黄で昴・畢・天船・大陵・巻舌・奎・婁を轢いた。
  • 景明三年(502年)正月甲寅、月が斗に入り魁第二星から四寸ほど離れた。占いは「呉越に憂いがある」とし、4月、蕭衍がその主宝融を廃した。4月癸酉、月が房南頭第二星に乗じた。己亥、月が角・亢・氐・房・心で暈をなした。6月戊戌、月が南斗第二星を掩った。8月壬寅、月が暈をなし外は青、内は黄で昴・畢・婁・胃・五車を轢いた。占いは「貴人が死ぬ」とし、乙卯、三老元丕が薨じた。己酉、月が軒轅を犯した。11月己巳、月が井で蝕し尽きた。壬辰、月が昴を掩った。占いは「喪の会がある」とし、正始二年(505年)4月、城陽王鸞が薨じた。
  • 正始元年(504年)正月乙卯、月が胃・昴・畢・五車二星で暈をなした。丁巳、月が婁・胃・昴・畢で暈をなした。戊戌、月が五車三星・東井・南河・北河・輿鬼・鎮星で暈をなした。2月甲申、月が昴・畢・参・左肩・五車で暈をなした。乙未、月が参・井・鎮星で暈をなした。占いは「兵が起こる」とし、四年、氐が反したが行梁州事楊椿・左将軍羊祉が大破した。丙申、月が鎮星を掩り、また暈をなした。
  • 正始四年(507年)正月庚申、月が胃・昴・参・五車で暈をなした。2月辛亥、月が太白を掩った。3月辛酉、月が軒轅・太微西垣・帝座で暈をなした。4月丙申、月が心大星を掩った。5月丁卯、月が斗で地下から蝕して出、十五分の十二に及んだ。占いは「飢饉がある」とし、8月、敦煌の民が飢え倉を開いて賑恤した。6月癸卯、月が昴を犯した。占いは「喪の会がある」とし、永平元年(508年)3月、皇子昌が薨じた。丁未、月が太白を掩った。7月戊午、月が房の大星を犯した。壬申、月が昴・畢・觜・参・東井・五車五星を犯した。占いは「旱があり大赦がある」とし、正始元年正月丙寅、大赦して改元し、6月には旱のため詔して音楽を止め食事を減じた。12月丁亥、月が昴・畢・婁・胃で暈をなした。己未、月が太微・帝座・軒轅で暈をなした。庚子、月が房・心・亢・氐で暈をなした。占いは「大戦がある」とし、正始元年、荊州刺史楊大眼が群蛮の樊秀安らを大破した。
  • 正始二年(505年)9月癸未、月が昴で蝕し十五分の十に及んだ。占いは「飢饉がある」とし、四年9月、司州の民が飢え倉を開いて賑恤した。11月丙子、月が暈をなし東西に珥、内は赤、外は青、東に長さ二丈ほどの白虹、西に長さ一匹の白虹、北にも長さ一丈余りの虹があり外は赤、内は青黄、虹の北には背があり外は赤、内は青黄であった。
  • 正始三年(506年)正月辛巳、月が太微・帝座・軒轅・左角・賁星(疑わしい星名)で暈をなした。3月庚辰、月が氐で蝕して尽きた。10月甲寅、月が太白を犯した。
  • 永平元年(508年)5月丁未、月が畢を犯した。占いは「貴人に死者がある」とし、9月、太師彭城王勰が殺された。6月己巳、月が畢を掩った。11月癸酉、月が左執法を犯した。占いは「大臣に憂いがある」とし、四年(511年)3月壬戌、広陽王嘉が薨じた。
  • 永平二年(509年)正月甲午、月が翼で蝕し十五分の十二に及んだ。11月丙戌、月が畢の大星を掩った。
  • 永平三年(510年)正月戊子、月が張で蝕した。閏月乙酉、月が危で蝕した。11月壬寅、月が太白を犯した。12月壬午、月が張で蝕した。
  • 永平四年(511年)4月癸酉、月が太微・軒轅で暈をなした。占いは「小赦がある」とし、延昌二年(513年)8月、犯罪者の死罪を恕し流罪以下を減刑した。辛卯、月が胃で太白を犯した。8月癸丑、月が輿鬼を掩った。丁巳、月が太微に入った。占いは「大臣が死ぬ」とし、延昌元年(512年)3月己未、尚書左僕射安楽王詮が薨じた。辛酉、月が太白を犯した。10月壬午、月が黄道を失って軒轅の大星を犯した。甲申、月が太微に入った。11月乙巳、月が畢を犯した。占いは「辺境の兵事のためである」とし、11月戊申、李崇・奚康生に寿春で兵を治め朐山の賊を討つよう詔した。
  • 延昌元年(512年)2月庚午、月が東井・輿鬼・軒轅の大星で暈をなした。3月辛丑、月が翼でしばらくの間、暈が生じては散じを繰り返した。壬寅、月が太微を犯した。乙巳、月が角・亢・房・心・鎮星・歳星で暈をなした。9月丁卯、月と熒惑がともに七星にあった。10月癸酉、月が東井・五車・畢・参で暈をなした。占いは「大旱、あるいは水害」とし、二年4月庚子、絹十五万疋を出して河南の飢民を賑恤し、5月には寿春で水害があった。12月戊戌、月が太微で熒惑を犯した。占いは「君が三年を出ずに死ぬ」とし、四年(515年)正月、世宗が崩じた。
  • 延昌二年(513年)正月庚子、月が暈をなし東に連環があって亢・房・鎮星・織女・天棓・紫宮・北斗を轢いた。2月己巳、月が熒惑・軒轅・太微・帝座で暈をなした。占いは「旱がある」とし、6月乙酉、青州の民が飢え倉を開いて賑恤した。4月丙申、月が鎮星を掩った。己亥、月が箕で地下から蝕して出、次第に満ちていった。占いは「飢饉がある」とし、三年4月、青州の民が飢え倉を開いて賑恤した。6月乙巳、月が畢の左股を犯した。占いは「辺境の兵事のためである」とし、二年6月、南荊州刺史柏叔輿が九江で蕭衍の軍を破った。7月戊午、月が鎮星を掩った。10月丙申、月が参で蝕して尽きた。占いは「軍が起こる」とし、三年11月、司徒高肇に大将軍として歩騎十五万を率い蜀を伐つよう詔した。
  • 延昌三年(514年)2月乙酉、月が畢・昴・太白・東井・五車で暈をなした。4月癸巳、月が尾で地下から蝕して出、十五分の十四に及んだ。占いは「旱・飢饉がある」とし、熙平元年(516年)4月、瀛州の民が飢え倉を開いて賑恤した。9月丁卯、月が太微の屏星を犯した。10月壬寅、月が房第二星を犯した。12月丙午、月が熒惑を掩った。
  • 延昌四年(515年)5月庚戌、月が太微を犯した。占いは「貴人に憂いがある」とし、9月、安定王燮が薨じた。9月乙丑、月が太微を犯した。10月癸巳、月が太微に入った。占いは「大臣が死ぬ」とし、熙平二年(517年)2月、太保領司徒広陽王懐が薨じた。閏月戊午、月が軒轅を犯した。占いは「女主に憂いがある」とし、神亀元年(518年)9月、皇太后高尼が瑶光寺で崩じた。

粛宗(孝明帝)期

  • 熙平元年(516年)8月己酉、月が奎で蝕し十五分の八に及んだ。占いは「兵事がある」とし、神亀元年3月、南秦州の氐が反したため龍驤将軍崔襲を持節としてこれを説諭させた。12月戊戌、月が歳星を犯した。甲辰、月が東井・觜・参・五車で暈をなした。占いは「大旱、あるいは水害」とし、二年10月庚寅、幽・冀・滄・瀛の四州が大飢饉となり倉を開いて賑恤した。
  • 熙平二年(517年)2月丁未、月が軫で蝕した。4月癸卯、月が房を犯した。8月癸卯、月が婁で蝕して尽きた。9月癸酉、月が畢を犯した。占いは「貴人に死者がある」とし、神亀元年4月丁酉、司徒胡国珍が薨じた。10月癸卯、月が昴・畢・觜・参・五車四星で暈をなした。甲辰、月が畢右股・觜・参・五車三星・東井で暈をなした。占いは「天下が飢え大赦がある」とし、神亀元年正月、幽州が大飢饉となり死者甚だ多く倉を開いて賑恤しまた天下に大赦した。11月戊戌、月が觜・参・東井で暈をなした。壬子、月が心の小星を犯した。
  • 神亀二年(519年)2月丙辰、月が参で暈をなし井・觜・参右肩・歳星・五車四星に及んだ。占いは「相が死ぬ」とし、12月、司徒尚書令任城王澄が薨じた。8月辛未、月が軒轅を犯した。12月庚申、月が柳で蝕し十五分の十に及んだ。
  • 正光元年(520年)正月戊子、月が軒轅の大星を犯した。占いは「女主に憂いがある」とし、7月丙子、元乂が霊太后を北宮に幽閉した。12月甲寅、月が蝕した。占いは「兵が外で起こる」とし、二年正月、南秦州の氐が反し、2月に光禄大夫邴虬に討伐を命じた。
  • 正光二年(521年)5月丁未、月が蝕した。占いは「旱・飢饉がある」とし、三年6月、帝は炎旱のため食事を減じ楽を撤した。7月乙卯、月が昴の北三寸にあった。9月庚戌、月が胃・昴・畢・五車で暈をなした。辛亥、月が昴・畢・觜・参・両肩・五車で暈をなした。占いは「赦がある」とし、三年11月丙午、天下に大赦した。10月辛卯、月が心の大星を掩った。11月己酉、月が井で蝕した。乙卯、月が昴を犯した。
  • 正光三年(522年)正月甲寅、月が心の距星を掩った。2月丁卯、月が太白を掩った。京師では見えず涼州が上奏した。甲戌、月が張で軒轅・太微右執法・歳星を犯し暈をなした。4月丁丑、月が心の距星を掩った。9月丙午、月が畢で暈をなし昴・畢・觜・参・両肩・五車四星に及んだ。
  • 正光四年(523年)正月戊戌、月が井で暈をなし東井・南河・觜参右肩一星・五車一星に及んだ。7月乙巳、月が胃で暈をなし婁・胃・昴・畢・觜に及んだ。占いは「貴人が死ぬ」とし、11月丁酉、太保崔光が薨じた。8月乙亥、月が畢で熒惑を掩った。
  • 正光五年(524年)2月庚寅、月が参で暈をなし畢・觜・参両肩・東井・熒惑・五車一星に及んだ。占いは「兵が起こる」とし、6月、秦州城の人莫折大提が城に拠って反し秦王を自称したため雍州刺史元志に討伐を命じた。閏月壬辰、月が張で暈をなし軒轅・太微西蕃に及んだ。占いは「天子が自ら軍を発する」とし、孝昌三年(527年)正月己丑、内外に戒厳を詔し帝自ら出討しようとした。癸巳、月が翼で暈をなし太微・張・翼に及んだ。占いは「士卒が多く逃走する、あるいは士卒が大いに集まる」とし、10月、営州城の人劉安定が就徳興とともに反し刺史李仲遵を捕らえたが、その部下王悪児が安定を斬って降り、徳興は東へ逃げて燕王を自称した。8月丙申、月が昴で暈をなし胃・昴・五車二星・畢・觜・参一肩に及んだ。12月癸未、月が婁で暈をなし奎・婁・胃・昴に及んだ。
  • 孝昌元年(525年)9月丁巳、月が蝕した。10月丙戌、月が畢で暈をなし昴・畢・觜両肩・五車二星に及んだ。
  • 孝昌二年(526年)8月甲申、月が胃で鎮星を掩った。閏月癸酉、月が鎮星を掩った。
  • 孝昌三年(527年)正月戊辰、月が婁で鎮星を犯し七寸ほど離れて光芒が相及んだ。占いは「国が破れる、期限は三年を出ない、あるいは天下に大喪がある」とし、武泰元年(528年)2月癸丑、粛宗が崩じ、4月庚子、爾朱栄が霊太后および幼王を殺し、さらに王公以下を殺した。癸酉、月が井で暈をなし觜・参・両肩・南北河・五車両星に及んだ。占いは「赦がある」とし、7月己丑、天下に大赦した。

武泰・荘帝期

  • 武泰元年(528年)3月庚申、月が畢の大星を掩った。庚午、月が軫で暈をなし太微・角に及んだ。
  • 荘帝建義元年(528年)7月丙子、月が畢で大星を掩った。
  • 永安元年(528年)11月丙寅、月が畢で大星から東北五寸ほど離れ光芒が相掩った。12月辛卯、月が婁で暈をなし奎・歳星・胃・昴に及んだ。癸巳、月が畢の大星を掩った。
  • 永安二年(529年)3月乙卯、月が畢の口に入った。占いは「大兵が起こる」とし、壬戌、大将軍上党王天穆と斉献武王(高歓)に邢杲討伐を詔した。4月己丑、月が翼で太微に入り屏星の西南一尺五寸ほどの位置でしばらくして沈んだ。辛卯、月が軫で暈をなし太微・軫・角に及んだ。乙丑、月が危にあった。8月乙丑、月が畢の左股第二星の北二寸ほどの位置で光芒が相掩い、まもなく畢に入った。占いは「兵が起こる」とし、三年正月辛丑、東徐州城の民呂文欣らが反し刺史を殺したため、行台樊子鵠が討伐した。10月辛亥、月が畢で暈をなし畢・昴・鎮星・觜・参・井・五車四星に及んだ。占いは「兵が起こり大赦がある」とし、三年3月、万俟醜奴がその大行台尉遅菩薩を遣わして岐州に寇したが大都督賀抜岳・可朱渾道元が大破し、4月に天下に大赦した。甲子、月が参で蝕した。12月丙辰、月が畢の右股大星を掩った。乙丑、月と熒惑がともに軫にあった。丁巳、月が畢で暈をなし昴・畢・鎮星・觜・参・伐・五車四星に及んだ。占いは「大赦がある」とし、三年9月、天下に大赦した。癸亥、月が翼で暈をなし軒轅・翼・太微に及んだ。占いは「赦がある」とし、三年10月戊申、皇子が誕生し天下に大赦した。乙丑、月が軫で熒惑を掩った。
  • 永安三年(530年)正月己丑、月が太微に入り熒惑を襲った。辛卯、月が太微の中を行き太微・熒惑で暈をなした。壬辰、月が軫で熒惑を掩った。4月戊午、月が太微で暈をなした。5月甲申の望前、月が午の方位で蝕した。『洪範伝』は「天子が微弱で大法が中を失い功業を成せなければ月食は望前に起こる」というが、この時、爾朱栄らが朝政を専らにしていた。6月乙巳、月が畢の大星から北三寸ほどの位置で光芒が相掩った。8月庚申、月が畢の口に入り左股大星を犯した。辛丑、月が軒轅の后星の北・夫人星の南を通り、まっすぐ東の太白を過ぎ次妃を犯した。占いは「人君が死に、また兵が起こる」とし、12月、爾朱兆が洛陽に入り帝を捕らえて皇子を殺し、乱兵が後宮を汚し司徒公臨淮王彧を殺した。9月庚寅、月が参で暈をなし昴・觜・参・井・歳星・鎮星二星・五車三星に及んだ。10月辛亥、月が東壁で暈をなした。11月辛丑、月が太白の北で指を容れないほどの距離にあった。

普泰・中興・太昌・永熙期(分立の諸帝)

  • 前廃帝普泰元年(531年)正月己丑、月が角で暈をなし軫・角・亢に及び連環暈が北斗柄三星・大角・織女に接した。5月甲申、月が蝕して尽きた。己未、月が畢の右股第一星を犯し三寸ほど離れて光芒が相及び、また畢の口に入った。10月癸丑、月が昴で暈をなし觜・参・東井・五車三星に及んだ。占いは「赦がある」とし、この月、斉献武王が後廃帝を擁立し天下に大赦した。
  • 後廃帝中興元年(531年)11月甲申、月が暈をなした。中興二年(532年)4月戊寅、月が箕で蝕した。
  • 出帝太昌元年(532年)6月癸未、月に珥が生じた。9月甲寅、月が太微に入り屏星を犯した。10月丙子、月が参で蝕した。
  • 永熙二年(533年)11月乙丑、月が畢で暈をなし昴・觜・参・両肩・五車五星に及んだ。
  • 永熙三年(534年)3月戊戌、月が亢で蝕した。8月庚午、月が畢で暈をなし昴・畢・觜・参・五車四星に及んだ。占いは「大赦がある」とし、この月戊辰、天下に大赦した。

孝静帝(東魏)期

  • 天平元年(534年)12月庚申、月が畢で暈をなし昴・畢・觜・参・両肩・五車五星に及んだ。閏月庚子、月が心の中央星を掩った。
  • 天平三年(536年)3月、月が北斗第二星で暈をなした。占いは「穀物が高騰し兵が集まる」とし、この月、斉献武王が山胡劉蠡升を討ってこれを斬ったが、三年、并・肆・汾・建の諸州で霜害があった。壬申、月が婁にあり太白が月の南一寸ほどにあったが、明け方には次第に離れていった。8月己卯、月が心にあり心の中央大星から西へ七寸ほど離れていた。11月戊辰、月が心にあり前小星を掩った。
  • 天平四年(537年)春正月丁卯、月が軒轅の大星を掩った。2月丁亥、月が蝕した。8月癸未、月が蝕した。10月丁丑、月が熒惑の北五寸ほどの位置にあった。2月壬申、月が五車東南星を掩った。庚辰、月が北斗で連環暈をなした。8月癸未、月が五車東南星を掩った。
  • 元象元年(538年)3月丁卯、月が軒轅の大星を掩った。6月癸卯、月が蝕した。10月己亥、雲がまだらとなる中、月が昴で暈をなし胄・昴・畢に及んだ。占いは「大赦がある」とし、興和元年5月、天下に大赦した。丁未、月が翼で暈をなし太微・軒轅・左角・軫二星に及んだ。11月庚午、月が井で暈をなし五車一星・東井・南北河に及んだ。占いは「赦がある」とし、興和元年11月、大赦して改元した。
  • 興和元年(539年)8月辛丑、月が畢で暈をなし畢・觜・参・両肩・五車に及んだ。9月丁巳、月が斗で魁第二星を犯し三寸ほど離れて光芒が相及んだ。丁卯、月が昴を掩った。12月甲午、月が蝕した。
  • 興和二年(540年)8月己酉、月が心の中央大星を犯した(底本の紀月表記のまま)。
  • 武定元年(543年)春正月辛巳、月が畢で暈をなし東井・参・両肩・畢西・昴・五車五星を轢いた。占いは「大赦がある」とし、正月に大赦して改元した。3月丙午、月が蝕した。4月壬辰、月が蝕した。8月丁巳、月が胃で暈をなし畢・歳星・昴・婁・胃・五車一星に及び、しばらくして暈が欠けまた成った。
  • 武定四年(546年)正月己未、月が軫で蝕した。9月癸亥、月が翼で暈をなし軒轅・太微・帝座・熒惑に及んだ。占いは「兵が起こる」とし、この月、北徐州の山賊鄭土定が郎中と自称して州城を密かに陥れたが、儀同斛律平が討ち平らげた。10月癸巳、月が畢の中に入った。11月壬午、月が七星で暈をなし熒惑・軒轅・太微・帝座に及んだ。12月壬寅、月が昴で暈をなし昴・畢・五車両星に及んだ。占いは「赦がある」とし、武定二年3月、斉献武王が冀・定二州を巡り入朝した際、その春が旱であったため懸租を免じ窮民を賑恤し死罪以下の罪をすべて赦すよう請うた。
  • 武定五年(547年)正月乙巳、月が畢の大星・昴・東井・觜・参・五車二星を犯した。占いは「大赦がある」とし、5月丁酉朔、天下に大赦した。庚辰、月が張で暈をなし軒轅・大星・太微・天庭に及んだ。
  • 武定七年(549年)9月戊午、月が斗で歳星を掩った。占いは「呉越に憂いがある」とし、この年、侯景が建業を破り、呉の人々は餓死・流亡する者が数えきれないほどであった。11月丁卯、月が蝕した。